これまでを振り返って


■月日の経つのは早い

 今年は2013年、そして私は、この3月で41歳になりました。

 このWebサイトを始めたのは、確か、2000年頃です。

 一番最初の記事は、2001年の12月になっているけど、その前の形があったのです。
作り直して、現在の形になったのが、2001年12月なんです。

 いまも住んでいる大村市に引っ越してきたのは、2000年の2月でした。もう、そんなに
時間がたってしまったのかと、信じられない気持ちです。

 仕事に追われるばかりで、流されて、流されて、一日一日が過ぎ去って・・・・・・・・・、
ここまで来てしまいました。

 毎日、夜遅くに帰宅して、飯食って、風呂入って、寝ることの繰り返しでした。

 見る暇(余裕)がないから、2007年にテレビを処分してしまいました。見たい番組を
HDDレコーダに録画して、まとめて見ていた時期もあったけど・・・、たまりすぎて
早送りで見ても、見るのが面倒くさくなって、とうとう見なくなってしまった。

 たまの休みは、疲れが出てしまって、ただ寝るだけ。ひとの事なんか考える余裕がない。
つまらない毎日の連続でした。


 今になってようやくわかった。誰かの言葉だったけど、今日という日は、自分の人生の
大切な一日なんだって。時間は絶対に取り返せないんだ。一日一日を大切に生きなければ
ならない。これからは、この言葉を意識しながら生きていく。

 20歳で最初の会社に就職してから、もう20年が経過しました。60歳まで仕事をするとしたら
ちょうど折り返しを過ぎたところです。

 色々考えるんですよ。自分は世の中の為に何ができるか。この先、何をどのようにして
行けばいいのか。

 本当は、若手に技術を教えて、育てて、そして自分の仕事を任せて、自分は新しいことにチャレンジ
する・・・、という流れにしたかったけど、残念ながら若手がいませんでした。本気で、ついてくる
人がいれば、こちらも真剣に教える気持ちだったけれど。(自分自身は、「技術は見て盗め」と言われた
世代だが、そういうのは古いと考えている)

 仕方なく、自分で何でもするしかありません。確かに、何でもできるけど、時間の問題がある。
はっきりいって、効率が悪い。


 さて今回、別のサーバーに記事を移動させながら、改めて記事の内容を見返しました。
ちょうど今から10年前ぐらいが、よく書き込んでいたと思います。

 まだ、心に余裕があったんだと思いますね。そして、あまり言いたくないけど、若かったんだな。


 この3月いっぱいで、勤めていた会社を辞めました。その前は、皆さんもご存知のように
2年間ほど自分で商売をしていたわけです。営業に行ったとき、ちょっとしたきっかけで、
その会社に加わることになったのでした。別に、自分の商売がつぶれたから、その会社に
入ったのではないのです。自分のは、ただ休眠しているだけです。

 なんで最近まで勤めていた会社を辞めたかというと、きついだけで、ちっとも上向かず、
将来の見通しも期待できなかったからです。人員削減が進み、動きが悪くなっていました。

 子供の頃から、松下、本田、ソニーなどの本を読んで感動し、高校生の頃にはアップルの本を
読んでいました。ずっと、ベンチャーに夢を追い求めてきました。最初の会社から、今まですべて
中小のベンチャー企業を選んできました。

 夢ばかり見て、多少きつくてもガマンして、いつかは成功すると思って、頑張ってきました。

 でも、あまりに夢ばかり追いすぎてきたのかもしれません。給料は安かったし、12歳年下の
弟と、あまり変わらない事に気づいた時はショックでした。

 将来の事、もっと現実を考えなければ。

 ここには書けないけど、色々な事を考えています。


 ところで、このWebサイトを始めたきっかけは、たぶん、「今日の必ずトクする一言」じゃなかったかと
思います。ページの構成を真似したのです。

 色々デザイン等に凝るのもいいけど、そっちの方が気になって、肝心の中身が充実していなければ
面白くありません。

 中途半端に投げ出してしまったプロジェクトもいっぱいあったけど、いいじゃないですかそれで。
包み隠さず、さらけ出せばいいと思っています。成功したのとか、最後までできたものは少ないです。
やってみる、試してみる、興味をもってみるのが大切なのであって・・・趣味だから、文句を言う人も
いない。

 









■「PICとの出会い」 

 この話は書きましたっけ。

 年のせいか、人に話したか/話してなかったかのフラグが化けたりして
 わけがわからない時もあります。(笑)

 私と、PICとの出会いは、なんと、パチンコ関係でした。それが始まりでした。

 ホールに出入りして、ROMの検査をしている業者がいて、「こんなのが出てきた」
 といって、2〜3cm角ぐらいの黒いチューブにくるまれた物を持ってきたんです。
 リード線が5本ぐらい出ていたかな。調べてみてくれと言われたと思います。

 それは、パチンコ台の中に仕込まれていたそうです。いわゆる、「ぶら下がり」ですな。

 当時のほとんどのパチンコ台は、抽選カウンタを+1するタイミングと同期した信号が
 外部に出ていました。とっくの昔に対策されて、現在はそんな機種は無いはずです。
 中のプログラムの組み方を考えると、出力信号が同期するだろうなと思いました。
 数msごとに1サイクルの処理を実行する。その中で入出力をしていますから、どうしても
 同期してしまいます。後に、高い周波数でICのカウンタを回す方式になりましたね。

 ランプや液晶に行ってる信号が同期しており、その信号を基準としてカウンタを回し、
 スタートセンサーの信号を、当たりのタイミングに合わせてずらしてやると、当たるのです。

 そのチューブを切って、中を見たら、18ピンのDIPパッケージのICが入っていました。
 但し、型番は削ってありました。

 元々がレーザーマーキングか、シルク印刷かによっても違いますけど、
 削り方が甘いやつは、つばをつけると、うっすらと見えたりします。
 たくさん作るから、中には、削り方が甘いのも出てくるでしょう。手作業ですからね。

 もっとマヌケなのは、基板にシルク文字で型番が書いてあるのも有りました。(笑)

 18ピンのICを見た感じでは、発振子も付いているし、おそらくマイコンだろうと思いました。
 その正体について興味が出てきて、これはたぶん、以前トラ技で見た、PICじゃないだろうかと。

 当時、PICについてはほとんど知りませんでした。1997年頃だったと記憶しています。

 トラ技の特集に初めてPICが取り上げられたのは、1995年12月号でした。
 「ワンチップ・マイコンで行こう!新しいコンセプトのRISCマイコンPIC16C84」

 その記事を一度は読んだはずで、ただ、そこから興味を持って始めなかったから、
 私は後閑さんになれなかったのでしょう。(^_^;)

 無理もありません。当時は、まだZ80やH8/3048Fをメインで使っており、あえて小さい
 マイコンを使う必要もなかったのです。いや、欲しい性能や容量がPICには無かったから、
 とも言えます。Cコンパイラも入手できませんでした。(当時アセンブラ絶対信者でしたけど)

 ちなみにZ80といっても、さすがに40ピンDIPのあれは使ってなくて、Z84C015や、KL5C80A12を
 使っていました。

 それで、電源ピンや発振子のつながりを見て、やはりPICだろうと確信しました。次に、中身を
 読み出せないかと思ったわけです。

 メーカー純正のプログラマは高価だったのか、当時のことは忘れましたが、自作の記事が
 結構ありました。アプリケーションノートに載っていた、トランジスタを巧妙に使った回路は
 有名でしたよね。それも確か作ってみたと思います。パラレルポートにつなぐやつ。
 それとシリアルポートにつなぐやつもあって、それは制御用のPICを何らかの手段で
 書き込む必要があり、どうやって書き込むかという課題が・・・。
 秋月電子さんのAKI-PICプログラマを買ったのか、それはだいぶ後だったと思います。
 もう忘れました。

 結局どうだったかというと、読み出せなかったんですね。プロテクトがかかっていました。

 ただ、原理的には理解したので、パチンコ台からの同期信号でICのカウンタを回し、
 コンパレータで周期MAXを判定してリセット、それと、別のコンパレータで当たりコマに
 なったら、スタート信号が出るような回路を組んで、家のパチンコ台につないで遊んだ記憶
 はあります。

 それをさらに発展させて、テンキーで周期を入力すると、自動的に当たりコマを探索する
 ようなものを作り上げました。それが、後にROMチェッカーになったんじゃなかったかと思います。
 当たりの確率は、パチンコ雑誌に機種ごとに載っていましたから、それを入力するだけでした。

 そのほか、フラットケーブルのコネクタの中に、8ピンPICが仕込まれているのも見ました。
 見た目はただのフラットケーブルです。両端にコネクタがくっついているだけ。
 ところが、コネクタのカバーをはずしてみると、まあ、よく作ったなと感心しました。細長い
 基板が仕込まれていました。

 もっとすごいのは、28ピンのPIC(SOPパッケージ)を薄く削り、さらに、途中からブッタ切り(笑)、
 あまり詳しく書くとまずいかな、ゴニョゴニョ・・・・・・で、ホールから回収したものでしたが、
 すごいのを目の当たりにしました。ここまでやるんだ!!と。

 ゴト師とは関係ありませんでしたが、彼らの行動力と研究開発力?をとても尊敬していました。
 やっている事はともかくとして、半端じゃありません。
 パチンコ台の特定の場所に穴をあけるとか、押しボタンをはずして中に何かを差し込み、
 ショートさせるとか、メーカーとしては予想できないようなゴトにやられていました。

 もう無くなってしまいましたが、某パチスロメーカーのお手伝いを後にすることになって、
 遊技機の工場で使う各種試験装置の設計製作、さらに、ゴト対策にも関わりました。

     懐かしのパンフレット、豆本

(ポスターも持ってます。誰も欲しくないだろうけど、記念に)




 








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