復活!SC-3000(もどき)


■はじめに

 その昔、 セガ の SC-3000 という、安価なパソコンがあった。
当時、CM等で、 \29,800 という価格で売り出されていた。それを見て、
とても安くなったと思った。(※1)

 どちらかというと、パソコンというよりゲーム機の色が濃く、
BASIC内蔵が普通だった時代に、BASICのカセットは別売となっていた。

 兄弟機種に、 SG-1000 というのがあり、これはゲーム専用だが、
別売のキーボードをつなげば、パソコンとしても使用できた。


 私も、かつて、中学の頃から SC-3000H (※2)を所有していたが、
高校2年の時、 ワンボードマイコン を作る為にパーツ取りして、捨ててしまった。
いま思えばもったいなかった。当時はお金が無いから、使えるものは使うしかなかった
のである。捨てられたTVの基板から抵抗をはずすぐらいだった。

 28ピンDIPの、 MITEC-1 と書いてあるICだったか、それは何か使えそうなので
現在まで保管しておいた。当時はROMだと思っていたが、ROMじゃないんだよね。
Z80とか他の部品は、また後でも手に入るけど、ROMだったら同じ内容のものは
手に入らないと思って、保管していた。






※1・・・私の記憶では、パソコンで\29,800というのは初めてだったと思う。
     そのうちに、カシオが安いMSXを出してきて、最終的には、1万円台になった。
     PV-7 は\29,800で、その後の MX-10 が\19,800だったか。
     MX-10は当時、友人が持っていて、実際に触ってみたが、とても小さかった。
     良いパソコン悪いパソコンという本だったか、忘れたが、そういう本に、
     ついに使い捨てパソコン登場!と書いてあったのを覚えている。使い捨てかよ!!と。

※2・・・型番にHが付くのは、キーボードがゴムではなくて普通のプラスチック。

     ゴムキーボードのSC-3000より少し高かった。


■当時の思い出

 SC-3000H を手に入れた時と、その当時の思い出。

●手に入れた時

 中2か中3の頃、”ラジオの製作”の売買コーナーを見て買った。

 なぜか、”買います”のページなのに、「\4kで売ります。」と書いてあり、
おかしいなと思いながら、問い合わせてみたら、私に売ってくれることになった。
ほかには、問い合わせた人がいなかったようで、ラッキーだった。

 文面に、売りますという文字は無かったような気がする。何度も読み返して、
これはどう見ても”売ります”だよなあ、という感じがして、問い合わせてみた。

 値段は4kじゃなくて6kだったかもしれないが、忘れた。(※3)


●振動対策

 本体のみでは何も動かない。画面は真っ暗だ。ファミコンと同じで、カセットを差し込まないと
動かない。

 ここでいうカセットとは、カセットテープの事ではなくて、ファミコンと同じような、ROMカセットで
ある。

 何らかのカセットを差し込んで使うわけだが、ゲーム中に振動が加わった瞬間、動かなくなる
事が時々あった。カセットの端子の接触が悪かったようだ。

 調べると、カセットの差込口にスキマがあり、それでカセットがカタカタする。そこで、
紙を折って挟み、カタカタしないようにした。

 いや、BASICのカセットの端子から1本ずつリード線を出して、本体の基板に直結した
記憶がある。よほど頭に来ていたんじゃなかったか。結局、またはずしたけど。そうしないと
他のカセットが使えないもの。

 意味の分からない事をしていたなあ。


●ワイヤレス

 TVに線をつながなくてもいいようにした。

 ・・・といっても、当時を知らない方には、何のことか分からないかもしれないので説明する。

 当時は、家庭用のテレビを、パソコンのモニタとして使うのが一般的だった。現在のゲーム機も
テレビにつなぐが、それと同じ。ただ、ビデオ端子とかRGB端子じゃなくて、アンテナ端子につないで
いた。当時は、ビデオ入力端子付きのテレビは少なかった。RGBの21ピン端子も、比較的、
高級な機種にしか付いていなかったと思う。(RGB接続するのは、「夢」だったね)

 画質は(いま思えば)非常に悪かった。特に、アンテナ端子に接続する方式では、にじみというか、
ぼけたような画質になった。もちろん、細かい文字の表示は無理だった。横40文字、縦25行ぐらい
までが限界だっただろう。眼が悪くなったよなあ。

 当時は、ビデオ端子よりも、 (パソコンに内蔵された)RFコンバータ で、VHFの1か2CHの電波に
変換して、TVのアンテナ端子に入力する方式が一般的だった。
 地域によって、1か2のいずれかがNHK教育で、片方は空いていた。その空きチャンネルを
ゲームやパソコン用にしていた。

 つまり、 同軸ケーブル で接続し、電波を直接テレビに入力していたのである。

 先ほども述べたように、 ビデオ信号 を直接入力できるテレビは少なかったから、
ビデオ信号を電波に変換するようになっていた。この働きをするのが、 RFコンバータ というユニット
で、小さな放送局のようなものだ。長い距離の空中を飛ばすわけではなく、テレビに直結するから、
ごく弱い電波でよい。

 その電波を増幅して、室内ぐらいなら電波が届くようにしたわけだ。
 確か、ロッドアンテナも取り付けたと思う。

 ヤッホー、移動しながら使えるぞー、と、部屋の中をあちこち動きながら、こんな馬鹿みたいな事で
興奮していた中学生であった。


 そもそもの始まりは、自宅のTVのうつりが悪かったから、雑誌の記事を見て、 ブースター を
自作したことだった。

 住んでいた瑞穂町(当時は 長崎県 南高来郡 瑞穂町 /現在は 雲仙市 瑞穂町 )は、熊本や
佐賀、福岡のTV放送も受信できる、最高の場所だった。それなりにチラチラしていたけど、
どうしても見たいアニメなんか、必死になって見ていた。

 スノーノイズ、つまり、チラチラした画面で、かろうじて絵が見えるような状態であっても、
大切に、ビデオに録画していた。今度いつ再放送があるか分からないのだから。今みたいに、
便利なネットの動画サイトとか無いからね。

 もっときれいに映らないかと思って、ちょうど"ラジオの製作”にブースターの記事が
載ったから作ったんだな。 μPC1651 だったかな。4本足のICを サトー電気 から取り寄せて
銅箔基板を彫刻刀で削り、パターンを作った。

 でも、あまりいい結果は得られなくて、ガッカリした。そのまま放置していたわけだが、
その後、RF出力を飛ばそうという記事を見かけた。同じICが使われていたから、そのまま
流用したわけだ。


●電池駆動

 ニッカド4本を使って、電池で動くようにした。

 前記のワイヤレスと組み合わせて、本当のワイヤレスになった。(室内だけど)持ち運び
自由になった。
 ただ、そんなに長時間は使えなかったけどな。
 ゲームに夢中になっていると、急に電圧が下がってきて、やばい、消えた、ってなる。
 ニッカドの放電特性で、最後は、ストーンと落ちるから。

 じゃあ、何で単1とか大きいのを使わなかったか。当時は、単3×4本しか持っていなかったから、
仕方ない。(お金がなくて買えないし)

 データレコーダ(ただのテープレコーダ)の電源も単3×4本だったからな。データレコーダを
使う時は、パソコン本体をACで動かさなければならない。電池を使いまわしていたから。
だって、4本しかないもん。


●モニタ付き

 当時、 秋月電子 で、ビデオカメラのファインダーが売られていた。これは、超小型のブラウン
管が内蔵されたもので、小さいけど、すごく解像度が良かった。細かい字(40文字×25行
程度だが)も見えた。

 これをSC-3000Hに取り付けて、モニタ付きにした。
 ファインダーをのぞきながら、プログラムを打ち込んだり、ゲームをしたのだ。

 このファインダー、2つ買っておけばよかったなと思う。両眼でステレオ?になったのに。


●バッテリーバックアップ

 これは失敗。

 BASIC のカセットを分解したら、中に、メインメモリの DRAM が入っているのを知った。
 もしかして、これに電池をつなげば、内容が消えずにそのまま残るのではないかと。

 当時、プログラムやデータの保存手段は、カセットテープしか無かった(フロッピーは
別売の高価な装置が必要だった)。しかしカセットテープは、保存と読み出しに時間がかかり、
ノイズ等でエラーが発生したりして、効率が悪かった。

 結果的には、うまくいかなかったんだけど、当時は何も知らないからねえ。
 DRAMは、”リフレッシュ”を定期的にしないと、記憶が飛んでしまう。DRAMだけ電源を
供給しても、意味がないんだ。

 SRAM じゃないと、 バッテリーバックアップ できない。
 これだったら、電源さえ維持されていたら記憶は残る。

 ついでに言うと、電源をOFFにする瞬間は、リセット状態にしてCPUを止めないと
電圧が下がっていく途中に誤作動して、データが化けてしまう。

 これには、電圧検出のリセットICを使うのが一般的だ。
 電源電圧が、ある電圧まで下がったら、リセット信号を出す。それでCPUをとめる。

 ファミコンのゲームを途中でセーブして終わるときに、リセットボタンを押したままにして
電源OFFしたのも、データ化けを避ける為だったわけだ。リセットICが載っていなかっただけで、
その代わりを手動でやっていたという事。


●カバンに入れて

 中3の時、通学カバンに入れて学校に持っていった。SC-3000Hは小さくて、すっぽり入ったのを
覚えている。

 ソニーの HITBIT HB-101 も持って行った事があるが、通学カバンのフタがギリギリ
閉められるぐらい、飛び出していた。さらに、キーをひとつ破損したのを覚えている。
CAPSだったか。キートップに穴をあけて、ねじをつっこんで、応急処置したと思う。

 教室のTVにつないで遊んだが、何をしたのか覚えていない。
 (何をしたかったのかも分からない)


●ロード失敗

 記憶が確かではないが、カセットテープからプログラムをロードする時、内部が熱く
なっていると失敗したような気がする。

 カセットインターフェースのハイブリッドICと、3端子レギュレータのヒートシンクが
お互いに、すぐ近くに配置されていたせいか。

 何となく、原因に気づいて、なにか対策をしたような気がするけど、記憶がない。




※3・・・掲載欄の文字数に制限があり、\4,000と書かずに、4kと略していた。
     往復はがきは W〒 とか、返信封筒同封は SASE としていた。
     当時はネットオークションも、ネット銀行も、電子メールも無かった!
     電話か郵便しか連絡手段がなかった。近くなら、直接手渡しもあった。
     オークション形式では無かった。基本的に、早い者勝ちだった。
     ハガキを雑誌の編集部に送ってから掲載されるまで、2ヶ月ぐらいかかっていたと
     思うが、のんびりした時代だったと思う。
     ラジオの製作にも、初歩のラジオにも、CQハムラジオにも、I/Oにも、売買コーナー
     が有った。何か面白い物が無いかと、読むのが楽しみだった。
     最後に見たのはMJ(無線と実験)で、10年ぐらい前まで定期購読していたが、
     いまも、売買コーナーは有るのか?


回路・基板設計

 2011年の8月頃から作業を開始した。

 部品選定は、それが入手できるかどうかの調査も含めて進めた。

 昔の回路と同じ物を作っても面白くないので、色々付け加えたり、変更する
ことにした。

 シリアル通信ができるようにする為、8251と、FT232、USBコネクタも載せた。







 これはCAD画面のコピー


 寸法は、横210ミリ、縦155ミリである。B5ノートより少し小さいぐらい。
 (秋月電子のユニバーサル基板P-2188に合わせた)

 白ベタは、習慣で入れているもので、製造番号とか、バージョン等を記入できる
ようにしている。


 次の写真は、実際のプリント基板。

 同じものを、中国の2社で別々に作り、仕上がりや品質をチェックした。
 1社は、新しく見つけたシンセンの基板メーカーだった。

 部品面


 ハンダ面


 同じ基板を2社で作って、見比べたら、若干の違いがみられた。

 たとえば、ハンダ面に、レジストの抜き文字を入れていたが、1社はきれいに
文字が出ていた。もう1社は、つぶれて見えなかった。よく見ると、文字らしき
痕跡がかすかに見えた。なぜなのか、工程の違いか、分からないが。

 











■部品

 基本的にレトロな部品ばかりで、全部揃うかどうか微妙だったが、
何とかなった。


●VDP TMS9918ANL

 あまりに古い為か、リードは黒く変色していた。動作はしたので問題ない。



 FPGAで再現して、それをVDP用のソケットにつなぎ込めば・・・、それなら
CPU等も含めてワンチップで作ってしまいますか。 ワンチップMSX のように。
そうすると、今回の製作の意味がない。


●DRAM

 手持ちのが色々あったので、活用するいい機会だった。
 SRAMのほうが簡単だから、今まで自作マイコンでは、DRAMはほとんど使わなかった。
仕事では、ほとんどDRAMだった。それもかなり昔。(15年以上前)

 今回製作した基板には、5V単一電源のものじゃないと使えない。古い物ほど、いろんな
電圧を必要とする。それで、電源回路が面倒になる。PCの電源に、マイナス何ボルトとかが
あるのは、その時代の名残り。それと、COMポートも+12Vと-12Vを必要としていた。

 この写真のは、富士通の MB8118 である。


 型番の近い、 MB8116 は、確か、5V以外も必要だったと思う。

 DRAMは、ピン互換ならもっと容量の大きい物も使用できる。試作では、
41256も動作確認した。

 同じDRAMを8個並べてるところが、昔のパソコン(マイコン)らしくて良い。

 上記は、データ端子が1bitだから8個並べないといけないが、4bit幅の
ものを2個でもいいし、8bitなら1個で・・・もちろんパターンは変更しなければ
ならない。
 テストしたい時は、このソケットから信号を引き出して、いわゆる「ゲタ」を
作れば良いだろう。

 世の中には、TMS9918に、SRAMをつなぐ回路を作った人もいる。


●SN76489

 これはサウンドICで、入手困難かもしれない。今回は、「うそ発見器」の
ジャンクから取り外したものを使用した。
 私が調べた範囲では、秋葉原の某店で売られていた。今もあるかどうか
分からないけど。


●TTL

 TTLに関しては、入手の心配はないと思う。手持ちがいっぱいあるし、
通販で新品が買える。今回、一部不足したものは米国から取り寄せた。
TI製の新品だった。


●カードエッジコネクタ

 これは海外から取り寄せるしかなかった。
 最初、間違えて2.54mmピッチの物を購入してしまった。ガチョーン。


●水晶発振器

 有名なキンセキ(京セラキンセキ)のEXO-3だが、オリジナルのSC-3000の
回路には無い。8251のために、19.6608MHzのものを使用している。

 EXO-3は、すでに中止品になっている。


●CPU Z80

 手元に在庫があったので使用した。まだ、入手可能と思う。ザイログも、まだ
作っているかも?


●PPI 8255

 手元に在庫があったので使用した。入手は厳しいかもしれない。
 うちは、数百個持っている。


●8251

 これは手元の在庫がほとんど無かったので、通販で購入した。

 オリジナルのSC-3000に8251は無いが、シリアルポートは必要なので追加した。
USBシリアル変換のFT232も載せたので、PCとUSB接続し、シリアル通信ができる。
たとえば、プログラムやデータのアップロード/ダウンロードに使える。


●PIC16F877

 PS/2キーボードを接続する為、PICマイコンにその処理をさせようとした。16F877を
バスに接続し、見かけ上、キーマトリクスと同じに見えるようにした。

 但し、2012年1月現在、まだプログラムを作っていない。

 なお、別のコネクタに、従来と同じ回路のキーボードが接続できるように、
信号を引き出してある。








■ソフト

 ソフトは、中古ゲームソフトの通販で入手した。
 「 ロードランナー 」


 中学生の頃、「ロードランナー」と、「ジッピーレース」、
 「BASIC LEVEL IIIB」などは持っていたと思う。
 ROMだけ捨てずに保管していた。
 カセットをそのまま保管しておけばよかったのに。




 






 ROMの中身を簡単に吸い出したいのと、このカートリッジを流用できるようにする為、
ROMをいったんはずして、ソケットを実装した。

 

 ソケットにしておけば、自作のプログラムをROMに焼いて、ここに差し込んで実行できる。

 まあ、今回作った基板には、ROMのソケットが有るから、どうでもいいが。
 さらに、ソケットを1段かませて、かさ上げして、レバーソケットを付けてあるのだが・・・。








 


 部品実装がほぼ終わった基板。


 ICは、まだソケットに装着していない。一部の部品も未実装。
 最低限の動作に必要なものを優先した。

 






■試運転

 最初は、ロードランナーのタイトル画面で止まり、それ以上、何をしても進まなかった。

 

 Enriさんのサイトにあった資料を読み返して、回路を調べなおした。

 サウンドチップ周辺の回路に不足があって(私のミスで)、そのICを追加した。
 そしたら、ちゃんと音が出て、ゲームも動くようになった。







■ジョイスティック

 中学生の時に持っていたやつは、壊れて、当時、捨てていた。中の金属接点が折れていたと
記憶している。

 最初はプレステ用のコントローラを検討して、ハードオフにたくさんあったなと、探しにいった。
そしたら、パチスロ用コントローラがちょうど良かった。それを改造して使うことにした。




 















 







■基板が欲しい方へ

 基板は余分に作ってありますから、
 欲しい方は、お問い合わせ下さい。


■感謝

 Enri's Home PAGE
  Enriさんのサイト。SC-3000等の解析資料を参考にさせて頂きました。


 ありがとうございます。


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