変圧器の作り方(応用編)

 少しずつ進めていきます。
 最新の記事が先頭になります。



■2008年2月**日

 なかなか続かないので、ネタ切れと思われるかもしれないが、そんな事は全然なくて
単に、手が回らないだけである。他の仕事でバタバタしながらも、アイデア帳にはいくつも
ネタを書き殴っていた。

 
 


■2008年1月4日

 じつは、子供の頃はトランスが嫌いで、直流電源として乾電池ばかり使っていた覚えが
ある。

 なんで嫌いだったかというと、あの「ハム音」を不快に感じていたからだ。製作した回路や
電話の電源として使うと、ブーンという音がして使い物にならない。電池だったらそんな事は
ない。当たり前だが、じつにクリアな通話ができる。トランスを使うとブーンと鳴って、文字通り
話にならない。それでトランスを避けていた。トランス式のACアダプタも、同様の理由で嫌い
だった。当時の知識と手に入る部品で構成する整流回路(ダイオードと電解コンデンサ)では、
ハムをおさえることはできなかったのだ。

 中学生になり、技術の教科書に整流回路が載っているのを見つけた。それは単純なRCフィ
ルタが付いていて、そうだ、たぶんこれだ、これでハムが解消すると当時思った。しかし実際に
やってみたらダメだった。しかも抵抗が過熱してどうしようもない。
 その後、3端子レギュレータを知ったのは中学3年か高校1年の頃だったと思う。これでようやく
長年の課題が解決した。当時、ちょうどマイコンをいじり始めた事もあって、5V電源が必要になり
7805を使って、電源トランスが入っていたジャンクの装置を流用し、そこに電源回路を組み立て
たのだ。ケースがアルミなので、放熱にはちょうど良かった。


 冒頭の「電話の電源」というのは、子供の頃に、中古の電話機を3台ほど手に入れた話から
始まる。とりあえず2台の間に、電池を直列につないだら、通話ができた。
 しかし、相手が目の前にいたら電話ごっことしては面白くない。そこで、線を長くのばしてみたく
なったのは当然の成り行きだった。

 当時は電線といっても、近所で売っている所は無く、手元にあったトランスをほぐしたエナメル線を
つなぎながら使っていた。つなぎながら、というのは、そのトランスは線をひっぱるとコアがグルグル
回って線が出てきていたのだ。それが時々回転が重くなり、ひっかかったりして、プチッと切れた。
だから、コマギレの線をつなぎながら長い線にしていったというわけだ。

 そしてエナメル線は、接続する時に表面のエナメルをはがして銅を露出する必要があるのだが、
これは通常、紙ヤスリでこすったりする。当時はそんな物が自由に手に入らなかったから、「歯で」
くわえて被膜を剥がしていた。口の中に残った被膜は、ペッと吐き出した。
 いま考えると、ジャンクの拾ってきたようなトランス(確か、真空管ラジオのスピーカーの出力用)
の汚いやつなのに、よくやっていたと思う。ほかの方法を思いつかなかったわけだが、PCBなどの
有毒物質をひょっとしたら体内に取り込んでいたかもしれない。

 そのほかに、小屋の屋根のスレート波板を細かく割ったり(アスベスト)、オイルコンデンサ(PCB
含む)を割って、中身がベタベタする〜と言って遊んでいたりしたから、健康がヤバイかもしれない。
オイルコンデンサは、昔のNEC製の農村電話に入っていた物を覚えている。この電話機は、確か
1978年に瑞穂町が自動改式?でダイヤル電話に変わった後に廃棄されていたから、何台ももらって
おもちゃにしていた。
 そのオイルコンデンサは、白い瀬戸物でできていたと思う。農村電話の中央にはスピーカーが内蔵
され(通常の電話機ならダイヤルがある所)、ここから一斉放送が流れていた。祖母の店が、昼には
郵便局員の休憩所になっており、そこで郵便局のオジサンと一緒に、電話から流れる放送を聞いた
のを覚えている。あちこちの畑の真ん中にもラッパ形の青いスピーカーが立っていた。
 その電話機は、右下のほうにベージュ色のツマミがあってボリューム調整ができた。たいていガリ
っていた。回すと接触が悪いからガリガリ鳴って放送の音が途切れる。フックスイッチは黒と赤の
ボタンがあって、赤のほうは一段掘り下げたようになっていた。受話器をかけた状態では赤のほうは
完全に押されない仕組みで、これは確か緊急連絡用のボタンだと聞いた。底板は厚紙のようなもの
だった。ネジをゆるめて開け、フックスイッチ部分のブロックのネジをはずして回転させて、再び取り
付けると、平置きと壁掛けの変更ができた。
 そして黒の袋打ちコードのようなのがのびていて(現在のようなビニール被覆ではない)、黒くて
丸いローゼットにつながっていた。結線部分は六角ナットで締めていたと思う。屋内線は、白と黒の
ツイストで、現在使われている電話線よりも太かったと思う。保安器の外観は黄色っぽくて、
中には白い2本の樹脂の棒が見えていた。よく見ると各々の電極からは銅板がのびていて、それが
どこにもつながらず宙ぶらりんになっていた。それはおそらくアースとの放電ギャップだろう。白い
樹脂の棒はヒューズだと思う。さらに屋外線(電柱間の接続)は、被覆のかぶった鉄線と、同じく
被覆銅線2本がくっついた太い線だったと思う。この電線も、農村電話が撤去されたあとに手に
入れて、配線に使っていた。当時でもけっこう劣化していて、被覆がボロボロ崩れたのを覚えて
いる。
 農村電話と書いたが、当時の大人は「有線」(有線放送を略した)と呼んでいた。そのためか、
私は今も、ゆうせんと聞くと飲食店等のBGM放送じゃなくて、有線電話を思い出してしまう。昔の
TVで、有線放送大賞というのがあったが、有線(電話)と関係あるんだろうか?と思っていた時期
もあった。


 脱線したが、それで確か当時住んでいた家の裏側まで配線を引っ張っていったと思うのだが、
音が小さくてよく聞こえなくなった。直感的に、線が細いからいけないんだろうと当時思ったかどうか
定かではないが、やはり抵抗が大きかったのだろう。それと、子供だから新品の電池が使えるほど
恵まれておらず、使い古しを直列にして間に合わせていたということもある。

 気象観測機の角形の3V電池の使い古しをもらって、使っていたような気がする。あれはネジ式の
端子が付いていて使いやすかった。普通の単1電池なんかは、電池ホルダを持っていなかったから
仕方なくテープでエナメル線を貼り付けていたのだが、すぐに接触が悪くなって不便だったからだ。

 輪ゴムをかけたら接触が良くなるかと思って試したが、いまいち、押さえの具合が悪い。後年になり
図鑑か何かで、電池に紙を巻いて両端に切り込みを入れ、そこに輪ゴムをかければうまく「押さえ」
になることを知ったが・・・。いつもイライラさせられて、意地になってビニールテープをグルグル巻きに
したり、いろんな攻撃?を仕掛けていた(笑)。

 まあ、それで電池以外の電源を検討したわけだが、当時、東芝のレコードプレーヤー用?のAC
アダプタが転がっていて、これが身近にある唯一のACアダプタだった。現在のようなコンパクトな
形をしていなくて(現在のものもコンセントに差すと邪魔になるが)、電源プラグからコードがのびて
箱形になっていた。箱の大きさは、今のノートパソコンの電源アダプターが厚くなったぐらいだったかも
しれない。中央に電圧選択のスイッチがあって、コインで4.5、6、9Vが選択できるようになっていた
と思う。

 これを電源に使えばパワフルだと思って試したわけだが、最初に書いたように、確かに通話の
音は大きくなったが、同時に、ブーンという音が耳障りになった。これがどうにかならんものか、解決
する方法を考えるようになった。

 リレー式電卓の記事にも書いていたと思うが、実際の電話回線の電圧は何ボルトか、というのも
自分の中では最大の疑問だった。知りたいけれど、周囲の大人は誰も知らない。自宅から電話線を
たどっていき、電柱を見上げたら、6600Vと書いてあったから、そうだ6600Vだと(笑)

 それと、当時の誤解としては「50Vを境目として直流、交流に分類される」、と思っていたことだ。
50V未満は直流、それ以上は交流だと思っていた。

 電気に関する書籍も何もほとんどなかったし、周囲の大人が答えてくれないし、そんなの知るわけ
がない。本当の答えにたどり着いたのは、小学校5年か6年の頃に、学校の放送室か準備室に
転がっていた、電電公社のパンフレットに、48ボルトである、と書いてあったのを読んだ時だった。
それまでは、何度も夢に見るぐらい気になる疑問だった。これを知った時は大喜びで、数字を忘れ
ないように手にメモしたか、何度も頭の中で復唱して教室に着いてから急いでノートに書いたと
思う。

 さて、そのうちに、ガレージの片隅に自分の実験室を作った。夏は暑くてたまらんし、冬は寒くて
死にそうだったが、晩飯を食うのも忘れて、いろいろ作っていたのを覚えている。

 そのガレージでやっていた事で覚えているのは、海岸に放置されていた廃車の軽トラを勝手に
解体して、カーラジオを取り出し、それを自転車に取り付ける事に執念を燃やしていた事もあった。
電源としてはライト用の発電機では電圧が不足するし交流なので使えず、仕方なく、単3電池を
8本直列に、それも、電池ボックスが無いから仕方なく半田でリード線をひっつけて、テープで
グルグル巻きにしていた。

 自転車にラジオを付けてどないすんねん、と今は思うのだが、当時はとても重要な事だった。
ちゃんとアンテナまで取り外してきて、自転車の後ろに取り付けたと思うのだが、音がなかなか
大きくならない。試行錯誤しているうちに、アースをつなげば、音が大きくなることに気づいた。
地面に釘をさして、ラジオの金属ケースにつないだら音が大きくなったのだ。

 しかし、地面に釘をさしながら走ることはできない。その時ひらめいたのは、静電気の放電用に
チェーンをぶら下げて走っている自動車のイメージだった。そうだ、こうやってアースをすれば
音が大きくなる。しかしチェーンが無いので、仕方なく、ビニールコードの先を長くむいて、裸線を
地面に垂らしていたような気がする。それとも空き缶に針金をつけてガラガラ鳴らしながら走ったか、
よく覚えていないが、うまく解決しなかったと思う。コンクリートやアスファルトの地面を走ったって
まともなアースにならない。
 あとで、ポケットラジオを持って走った方が楽だったかもしれないと思ったが、どうしてもカーラジオ
でなければいけなかったのだろう(自分的に)、その時は。


 それで、そのガレージと母屋の部屋との間に、連絡手段として電話機を設置したくなった。
もちろん電電公社の回線じゃなくて、私設で、乾電池を電源にしたやつだ。一種のインターホンと
いえる。

 屋根にのぼったりして、配線を引き回すのは大変だったが、こうやって苦労して接続するのは
何か言葉にできない楽しみがあった。やった、つながったぞと、いや、とてもこんな言葉じゃない
んだが・・・最後の結線をした瞬間、なんか、すごく満たされたような感じがした。

 しかし通話はできるのだが、インターホンとしては相手を呼び出せなければ役に立たない。
これは昔からの課題で、どうすればベルを鳴らす事ができるのか、そればっかりしつこく考えて
いた。
 コンセントにぶちこめば鳴ることはわかっていたが恐ろしすぎる。何度もブレーカーを落としたり
活線を、そうとは知らずにブッタ切って火花を散らしたり(新築の自宅のカギに放電跡をつけたり、
ハサミにも放電跡をつけた)、色々キケンな経験をしただけに、できれば避けたい選択肢だった。

 それでも、ベルを鳴らす手段に意地でもこだわり続けた。今度は、ベルの電圧は何ボルトか、を
20才あたりまで引きずっていくことになった。いや、高校の電子技術の教科書に書いてあった
かもしれない。

 電圧と、交流であることがわかっても、今度はそれをどういう回路で実現するか、という課題に
なる。
 その後、仕事で疑似交換機を扱ったり、ISDNが流行った頃にDSU内蔵TAを買って、内線
通話ができることから、内部でどうやってベル信号を作っているんだろうと調べたこともあった。
TRIJACKだったか、三角電伝だったか、これも一種の内線交換機なのだが、これも調べた。
三角電伝は雷で逝ってしまって非常に残念だった。

 もっとも、最近ふとした縁で、TRIJACKを再び入手した。使い道もないのだが。


■2007年12月24日

 どうにもならんぐらい多忙で、なかなか手が回りません。
 それに、作業台の上が、こんな状況で・・・・・・。



 よく探すと、自作の変圧器もあります。
 (タオルをかぶせてある顕微鏡の右側)

 ちなみに、左側の手前が Apple][ 基板です。その右が Disk][ です。
 左側の奥は MZ-2000 です。その隣に MZ-1F07 が有ります。
 いずれも、20年以上前のパソコンですが、現在でも正常に動作します。

 「捨てろよ」 なんて、言わないで。


■2007年12月9日

 いくつかの仕事が重なっているのだが、いつまでも予告編にしているわけにもいかん
だろうと、記事を書き始めた。結構シビアだなと感じるかもしれないが・・・私は、実際に
物事に取りかかるまでが遅くて、始めてみるとスムーズに進む場合が多い。それで、
簡単なところから取りかかることにした。
 まずは、手を動かしてみる。それから考えてみる。

●波形を見てみよう

 まず、変圧器に通電して、出力電圧の波形を見てみる。
 学校で習って、頭でわかっているつもりでいるから、なかなか実際に見ようと
しないと思う。そりゃー正弦波に決まっているだろうと。

 しかし、電気は目に見えないものだから、測定器で現実を見る事が重要であ
る。波形を見て、これをどのように料理しようとか、トラブルの原因を調べたり
する。また、回路に対して、どこをどのように変更したら、あるいは部品を追加
したり削除するとどのように変わるか、ということを波形を見ながら考えたりする。
波形のイメージと回路図が重なって考えられるようになると良いと思う。

 とにかく波形を見なければ始まらないので、オシロスコープが必須といえる。
現状、テスターしか持っていなければ、ちょっと頑張って手に入れた方が良い。
私自身、最初の会社に就職した直後に購入したが、それまでにできなかった事
ができるようになって、技術力がUPした。

【図1】久しぶりに通電!                【図2】出力電圧の波形
 
(↑鉄芯の模様が、モロにBOSSカフェオレ)

 すでに電気の知識がある方は、読み飛ばしてもらっても構わないが、簡単に説明
しておこう。

 まず、図2のような波形を 正弦波 という。横軸は時間で、縦軸は電圧を示している。
 誰でも心電図をとった事があると思う。紙が右から左へと流れていて、そこへ、
ペンが上下方向に振れながら線を描いている。そのイメージで考えると良い。

 一定の周期で、電圧と流れる方向が変化しているが、これを 交流 という。ちなみに、
直流の波形を見ると、単なる直線になる。

 縦軸の中央が0ボルトの基準で、そこから上がプラス、下がマイナスとなる。もっと
わかりやすくいうと、電源の2本の線が、ある瞬間には+、−であり、徐々に大きく、
あるいは小さくなり、0の瞬間があり、次には−、+となっている。

 波形を見るには、オシロスコープを使うが、この機種には電圧と時間の測定機能が
付いており、図2の右側に出ているように、35.1Vp-p、周期16.8ms、周波数59.5Hzと
いうのがわかる。周波数は一番下にも、f=59.988Hzと出ているので、こちらの方が実際
に近いと思う。59.5Hzは、測定の分解能の関係で半端な数値になっている。

 最大値
 ピーク・ツー・ピーク値
 実効値
 平均値
 周波数
 ・・・これらについて調べ、意味を明らかにすること。(って、宿題かいな)

 この実験のため、変圧器を数時間つけっぱなしにしていたら、鉄芯が熱くなっていた。
やはりこいつは、鉄損の固まりだ。前世?が缶コーヒーだけに、暖めるのが仕事か?


■はじめに

 缶コーヒーの変圧器を作りはじめたのは、昨年の暮れだったから、ちょうど
1年たったことになる。時間のたつのは早いと感じる、今日このごろである。

 そういえば、あれ以来、B○SSカフェオレをほとんど飲んでいない。1〜2本は
飲んだかもしれないが、積極的に買わなくなったのは確かだ。以前は好きで、
あの銘柄ばかり買って飲んでいたのに、ちょっと飲み過ぎたようだ。
 でも、これから寒くなってくれば、また飲みたくなるかもしれない。

 さて、せっかく作ったトランスだが、ずっと棚に載ったままホコリをかぶっていた。
そこで、こいつを活用(応用)して何かできないだろうかと思いついた次第。

 変圧器ひとつから、どれだけの応用を思いつくだろうか?

 妄想とか、想像とか、創造という言葉がある。どこまで妄想を膨らませられるか?
エロとは関係ないような物事から、いかに妄想を膨らませてエロに仕立て上げるか。
ささいな、取るに足らない日常の、見過ごしてしまうような出来事から、いかに想像を
膨らませてストーリーを作り出すか。人間の創造力をどこまで引き出せるか。

 ・・・などと、ワケノワカラン事を書いているが、トランスの用途など、たかが知れている
かもしれない。しかし、世の中のあらゆる場所で、大なり小なり使われている事実が
ある。ほとんどの電子機器に、何らかの形で組み込まれている。電源用とは限らない。
高周波回路にも使用されている。

 私は古本が好きで、もともと「変圧器の作り方」は、趣味で買った古本から始まってい
る。これ以外にも、主に技術書だが、いろんな古本を収集している。
 小学生の頃に、学校にあった電気関係の本が面白かったのをしつこく覚えていて、
また読みたくなり、しつこく古本サイトなどで探しまくって、大金?を支払って購入するような
変態?なのだ。

 30代後半にもなって、ガキの頃のことなんか忘れているのが普通じゃないかと思うが
当時は文字ばかりの本が嫌いで、学研の「○○のひみつ」等の漫画ばかり読んでいた。
その頃に、たまたま読むようになった文字ばかりの本だったので、よく覚えている。
 それも、図書室じゃなくて、その隣の物置みたいな準備室?に置いてあり、小学校4年
以降は、昼休みに図書室にこもって外に出なくなった。昼休みが終わるギリギリまで、
夢中になって本を読んでいたのを覚えている。本(活字本という意味で)の面白さに
目覚めた頃だった。

 「○○のひみつ」等の学習漫画は、確かに読みやすいが、そのうちに内容の薄さが
我慢できなくなってきた。これ以上のことが知りたいという欲求が出てきた。しかし新しい
本はなかなか買ってもらえなくて、いつまでも同じ本ばかり読んでいた。この当時に、
もっともっと、たくさんの本に接していたら、また違っていたんだろうと残念に思う。

 図書室でよく読んでいた本は、その当時(昭和50年代)でも古いもので、戦前・戦後あたりに
出版された物ばかりではなかったかと思う。年代とか本のタイトルなど、細かいことは
残念ながら覚えていない。それで、あいまいな記憶から見当をつけて、だいたいの年代を
狙って古本を選び、タイトルだけ見て注文しまくるという、賭けのような買い方をしていた。

 そうして届いた本をパラパラとめくってみて、ウン、これは確かに見覚えがある、と思った
のは何冊あっただろうか。記憶が薄れていたし、ほとんど微妙だったかもしれない。
ハッキリと見覚えがあったのは、「電氣の話」ぐらいか?

 どの本に書かれていたか覚えていないけれど、当時読んだ本に書かれていた内容で
覚えているのは、「電気パン焼き器」と、針金を束にした変圧器の実験ぐらいである。
 パン焼き器は、近年でも理科の実験にとりあげられていたりするが、戦後まもなくに発明?
された装置である。仕組みは簡単で、木箱の両側に金属板が取り付けてあり、そこから
コンセントにつないである。この木箱の中に、メリケン粉を水にといて、塩を少し加えた
ものを入れて通電する。すると電流が流れて加熱され、だんだん水分がなくなって電流
が減少するから、ちょうどよい具合に焼き上がるという。塩を加えるのは電流を流すためだし、
焼き上がるにつれて水分が減少して、というのは合理的と思う。(しかし実際には、塩加減
が難しいようだ。やったことがないのでわからない。それと、パン焼き器といっても食パン
みたいなパンじゃなくて、蒸しパンのような物が焼ける。)
 余談だが、実際に試すにはどんな金属板でも良いわけではない。毒になるものは使え
ない。
 さらに余談で、同様の原理によるソーセージ焼き器というのもある。これはソーセージに
釘を刺して通電するというもの。

 何を書いているのやらゴチャゴチャになってきたが、そうして収集した本の中に、ハッと
するような面白いアイディアがあった。昔の人はよく考えたもので、いろいろ工夫して
単純な仕掛けでうまいことやっているのがある。そこに感心して、実際にやってみたい
と思う実験があった。

 ウィムズ何とかはどうしたんだと言われそうだが、そのうち気が向いたらやるだろうし
あるいはそのままになるかもしれない。趣味だから、それで良いと思う。


戻る