ひとりごと 「ものの考え方」


■しょにょいち。

 じつは恥ずかしながら、学校を卒業してから何年もたって気づいた事がある。それに気づいたとき、何で今まで
わからなかったんだろうと、顔から火が出た。

 まずこれをみて下さい。言わずと知れた、ホイートストン・ブリッジ。

 ブリッジの平衡条件はR1・R4=R2・R3で、このとき、VaとVb間の電圧はゼロとなる。教科書では、この部分に
抵抗や電圧計がまたがっているのを見たことがあるだろう。それらに流れる電流もゼロとなる。
 高校生の頃の自分は、へえー、抵抗がつながってるのに電流が流れないなんて不思議だなあと感心していた。
 そう、何か特別なものであるかのような印象を抱いていた。だから、平衡条件とかの式にあてはめて、計算する
方法しかないと思ったのだ。

 ・・・・・・

 それから5年ぐらいたってから、失業して訓練校に通い、電気工事の勉強をした。ここで改めて、こういう基礎の
勉強をやり直していて気づいたわけだ。
 なーんだ、そういうことか!

 つまり、こういうことでしょ?

 たとえば、家庭の屋内配線にたとえれば、負荷がいくつも並列につながってるわけだ。並列だから、お互いに依存
しているわけではない(現実の配線での抵抗とかは考えないで)。
 単純に、分圧回路が2つあって、そのそれぞれの中点電圧が同じだったら、電位差がない、つまり電圧はゼロだし
負荷をつないでも電圧がゼロだから電流もゼロということなのだ。なんて簡単なことなんだろう。
 ブリッジの平衡条件とかの公式は、それを計算しやすくしただけなのだ。別に、分圧で計算して、その電位差を見て
も(面倒だが)間違いじゃないのだ。


 気づいてからは、逆に、なぜそういうふうな書き方をしていたのかと思った。なんでわざわざ菱形に抵抗を並べるん
だろう。全波整流回路だってそうだ。実習の時は、菱形にダイオードを並べていた。形が違うから、違う物に見えていた
んだろうね。

 うーむ、おまえ頭カタイんじゃないの?って言われそうだ。くそっ、教科書の罪だ(笑)。


 でも、これが分かってからは、なんかパーッと道が開けたような気がするよ。高校生の頃は、キルヒホッフとか、ブリッジ
とか、教科書を読み進むたびに頭が痛かったのだが、これに気づいてからは、急に理解が進むようになった。

 学校の勉強は、試験のための勉強で、公式を覚えられる奴がいい点をとれる仕組みになっている。公式を覚えないと
問題が解けないと考えがちだ。
 しかしブリッジ以前に、オームの法則とか分圧の勉強をしているはずだから、ブリッジの公式なんか知らなくても、応用で
問題が解けるはず。要するに、菱形を、普通の書き方に置き換えられる頭の柔軟さが必要ってことね(自爆)。

 パズル苦手だもん(言い訳)。


■しょにょに。

 はじめて就職した会社では、いろいろ良い経験をさせてもらったと思う。
 設計部に配属されたのだが、製造に必要な指示や図面などの資料を作る仕事もしていた。先輩が作った資料なども参考に
して、自分なりに指示書を作成し、これで良いと思った。

 ところが、製造からクレームがきた。
 ユニバーサル基板に手作りするやつの台数が多いので製造にお願いしたのだが、その指示書がわからんと怒られた。
 回路図じゃモノが作れない、ということだ。

 部品は支給したし、部品表や部品配置図も渡してあるのに、これ以上なにがあるのだと、駆け出しの自分は不満だった。
 自分なら、回路図さえあれば、部品箱から部品を拾い出し、ユニバーサル基板の部品配置を決め、メッキ線で電源の配線を
して、ソケットやらコンデンサやらをハンダ付けして、ラッピング線をむいて接続する。

 だが世の中では、自分の常識」が通用するとは限らない。誰でも回路図が読めるわけじゃない。

 自分が当たり前だと思っていても、他人にとっては、それが当たり前とは限らないんだ。また高校時代の話だが、英語の先生
が、「聖書」が届いたので、みんなにあげると言った。英語と日本語の対訳版なので、英語の勉強に役立つということだった。

 すると、クラスメイトが「せいしょってなに?」と聞いてきた。えっ、聖書を知らないのかと驚いた。
 話を聞くと、どうやら

と思っていた模様。げげっ、せくーすの本じゃないんだよっ!!

 こんな奴、天罰が下れと思ったが、神はあまねく慈悲をもって、この不埒な野郎をお許し下さいますでしょう。


 で、製造の指示はどうしたかというと、部品配置図は、ユニバーサル基板の穴まで全て精巧に描き加えて(まるで、ラジオの
製作とか初歩のラジオにあった実体配線図)、配線は回路図ではなく、「布線表」といって、要するにネットリストだね。ICの何番の
何ピンから、何ピンへつなぐ、というリストを、延々と何百行も書いた。すべて手作業で。

 今度はクレームもなく、数日後には品物が仕上がってきた。さすが製造のプロ、配線がすべて美しく束線してある。ハンダ付け
の品質もナイスだ。
 ところが、火入れをしたら動かない。調べたら、配線忘れがあった。それで製造に文句を言いに行ったら、指示通りにやったから
間違いないという。指示書を見直してみたら、自分のミスだった・・・。

 結局、自分で作った方が早かったかも知れない。それほど、自分の考えを人に完全に伝えるのは、大変なことなんだ。人に
ものを頼む時は、抜けがないように努力しなければならない。
 自分が回路設計屋で、基板設計屋に仕事を頼むときも、部品の資料は全部揃えて、指示も自分がわかってればいいってんじゃ
なくて、してほしい事は全部漏らさず書くことだ。頼まないとしてくれない。そういうものだ。

 人間関係もそうだし、世界を見渡せば、考え方の違いとかで対立している国もある。自分を理解してもらう努力、そして、相手を
理解する努力を惜しまなければ、きっと解決に向かうんじゃないだろうか。(理想論)

 それが なかなか できねんだ
 なあ (みつを)


■しょにょさん。

 物事は単純に考えた方がいい。いつまでも難しい事を考えて悩むんじゃなくて、発想を転換してみる。

 たとえば、製造ラインで検査に使っているパソコンのキーを、フットスイッチで押したいという要望があったとする。検査プログラム
では、確認項目をスペースキーとかで押しながら進めるようなものがあって、工具を持っていて手では操作しにくいから、足で操作
したいわけだ。
 パソコンのインターフェースはUSBしかないとしよう。キーはスペースだけでいい。さあどうするか?

 USBのチップを、PICと組み合わせて、あっ、PICのプログラムだけじゃなくてパソコン側のドライバも作らないとだめか?色々
忙しいなあ。USBやるのは初めてだしなあ、勉強しないとなあ・・・。あっ、チップは9602で、ついこの前9603が出たのに、
もう9604が出てるのか。どこが違うのかなあ。開発ツールあるかなあ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・

 ちがう!
 USBキーボードをぶっこわし、スペースキーの部分から線を引っぱり出して、フットスイッチにつなげば完成である。ソフトも必要
ない。


 こう書いてしまうと、当たり前じゃんと思うだろうが、なにかひとつの考えにとらわれていると、なかなか違う発想にならないと
思う。つい物事を難しく考えてしまうことってあるよねえ。

 さっきの話は架空だけど、自分は他の件で、やはり難しく考えすぎていた事があった。つまづいたまま半年たって、久しぶりに
掘り返してみたら、あらっ、こうしたら簡単じゃない?って思って、実際やってみたら一気に片づいてしまったという・・・(笑)。
これは、現在執筆しているトラ技の記事のやつなので、いずれ(ボツにならなかったら)、皆様に読んでいただけるかと思います。

 同じ事をずっと考えて悩み続けると悪循環になるし、ウツになるし、気分転換も大事かなって。
 そうそう、仕事が詰まったので昼メシを食いに出かけたら、いろいろアイディアがわき出してきたのにメモができなかった。帰り
道、忘れないようにするのが大変だった。
 むかし読んだ本で、危篤の患者を診ている医者が、わざとトイレに行くそうだ。こうやって、一度現場から離れてみると
気分転換というか、なんかトリガになるんでしょうね。あっそうだ、こうすれば・・・と、考えが浮かんでくるとか。いや、医者の仕事は
わからないからこれでいいのかどうか知らないけど、ちょっと環境を変えたら、考えが変わることってあるよねえ。

 行き詰まっている時、ひとに自分の考えを話すのも良いようだ。かつて同僚のプログラマが、いつもはパソコンにかじりついて
離れないのだが、どうかすると、人をつかまえて質問責めにした。自分も東京出張のとき、そいつにつかまって、街を歩きながら
メシを食いながら、電車で移動しながら、ずっと仕事の質問をされた。
 ひとに考えを話す時は、ある程度、自分の頭の中で考えを整理することになるので、それがいいのかもしれない。聞き役は
意味がわからなくても、聞いてあげるだけでも良いと思う。また、聞き役は、わからないなりに、それらしく話を合わせたりすると
それが意外な発想になることもあった。

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