NEAC3200の思い出

 私が通っていた島原工業高校には、当時、NEAC3200モデル30というミニコンがあった。NEC製で、1973年頃、製造されたもの。
16ビットで、コアメモリが8キロ語(ワード)ぐらい入っていたと思う。
 次に当時のメモにより、本体の仕様を示します(コピー代がなく、30〜40ページぐらいこのように手書きで書き写していました)。

 さらに、NEAC3200の写真を示します。
 これはカタログの表紙です。この白い台にのっかっているのが本体になります。開発当時としてはコンパクトな方だと思います。私が実際に
使ったものは、この写真とはスイッチの形が少し異なっていました。最下段の一部のツマミが、平べったい形のトグルスイッチでした。

 このコンピュータは、中3のとき高校の体験入学と、秋の工業展のときに触れて、それからずっと気になる存在だった。
 しかし、このコンピュータで実習をしたのは、我々のひとつ上の先輩までだった。高校2年生の時だったか、富士通FACOM M730という
汎用コンピュータと入れ替えになった。
 その片づけの時、NEACを物置に運んだうちのひとりが自分だった。Y先生が「この機械はきみたちの先輩のたましいが入って
いるから大切に運びなさい」とおっしゃった。すごい事を言う先生だと思った。感動してしまった。
 大切に運びたいのはやまやまだったが、しかし非常に重い機械だった。腕が痛くてたまらなかったのを覚えている。

 こいつの製造番号プレートを書き写したものがあるので、次に示します(よくメモしてたなと我ながら感心する)。

 このように書いてあります。
    第169号機
    NEAC−3200/30 中央処理装置
    製造仕様書番号 ENG−28309 60Hz
    製造オーダー 601−320115
    1973年2月製
    日本電氣株式會社   ← うーん、旧字体なのが渋い!!

 このコンピュータの端末は、いわゆるテレタイプASR33(NEAC TYPERという銘板が付けてあった)で、円筒形の活字が激しく
踊りながら、黄色っぽいロール紙に印字していた。「ダダダダダダダダダ・・・」というすごい音をたてていた。
 その活字の円筒をおさえるダンパーのゴムが劣化して、ネトネトしていた。そして、たまに改行しなくなり、重ね打ちすることもあった。
 テレタイプにも紙テープリーダーが付いていたが、別に専用のものがあった。
 次に、テレタイプ、紙テープリーダー、パンチャーの写真を示します(NEAC3200カタログより引用)。それぞれ赤い枠で囲んでみま
した。

 紙テープリーダーにテープをかけて、CPUのスタートを押すと、リーダーの照明ランプがついて、シャーとテープが流れていった。下に段ボール箱
などを置いて、テープを受け止める。テープが最後までいったら、手動巻取器にテープのしっぽをひっかけ、ハンドルをグルグル回して巻き取って
いった。不思議とテープは、からまないものだった。ただ、テープのへりで、指を切ることがたまにあった。
 手動巻取器の説明:

 演算中は、コントロールパネルの電球(白いプラスチックカバーの中に、小さい豆電球が入っていた)がチラチラして、いかにもコンピュータ
らしく見えた。非常に興味をそそられた。
 コントロールパネルのレイアウト:

 この豆電球は、LEDじゃないからたまに切れた。先生に聞いたら、袋いっぱいスペアを持っておられて、それをもらって交換したっけな。
 このコンピュータとは関係ない話題ですが、電球が切れやすいのは、冷えた状態で電圧がかかったときです。だから、点灯していない時でも、
抵抗を通して少し電流を流しておきフィラメントを暖めておくと良いそうです。そういう工夫が施された機械ならば、真っ暗なところで見れば、
電球が微かに光っているのが見えるかもしれませんね。

 この面白そうな機械を、中3のときからいじってみたくてたまらなかった自分は、先生の許可をもらって、放課後、その倉庫にこもり始めた。
まずそれぞれの装置を接続するところから始まった。コネクタの形を合わせていくだけなので簡単だったが、ただ、紙テープパンチの機械だけは
ネジ端子台で、結線のわからない部分があった。まるで冷蔵庫みたいな、紙テープパンチの機械だった。これだけは最後まで動かす事が
できなかった。
 しょうがないので、どうにかならないかと色々調べたら、テレタイプでも紙テープパンチができる事がわかった。出力デバイス番号を、
テレタイプの番号に設定すれば良いのである。コンパイルの前に、コントロールパネルを操作して、オブジェクト出力先番号をレジスタに設定する
わけだ。確かテレタイプは2番だったと思う。
 次に、それらの番号をまとめた、当時のメモを示します。

 このメモにあるように、ソースプログラムテープの入力デバイス番号、オブジェクトプログラムテープのデバイス番号、結果印字のデバイス番号と、
それぞれ設定できた。これを全部テレタイプに合わせる事も可能だった。だから基本的にはテレタイプ1台で使うことができるわけです。
 ただしテープの読みとりは、テレタイプだと、メカ的つまりピンを軽くテープに押しつけて、ピンが貫通するか否かで読みとっているから、わずか
だがテープに傷が付きやすい。その点、専用の紙テープリーダーなら速いし、光学的に読んでいるからテープが傷つきにくい。

 開発ツールや、プログラムの紙テープは、ライブラリとして、カギのかかる棚に保管されていた。先生にこれを開けてほしいとお願いしたが、
カギをどこにやったかわからないと言う。ドリルで壊せばいいんじゃないかとおっしゃる。げげっ、そんな事はできない。
 コンパイラの紙テープは、この中に入っているから、それが手に入らないとどうにもならない。どうしても開けたくてたまらない。それで、
半ば強引に・・・どうやって開けたか思い出せないが・・・壊さずに開ける事ができたのは確かだ。じつはひっかかっていただけで、カギなんか
最初からかかってなかったんじゃなかったかな、確か。

 テレタイプで打ち込んだFORTRANのソースプログラムの入った紙テープ、そして、それをコンパイルしたオブジェクトテープがあったが、
そのオブジェクトテープだけではプログラムが実行できない。ライブラリを呼び出している場合、リンクが必要になる。
 それには、まず、ローダのテープを通し、次に、オブジェクトテープを通し、最後にライブラリテープを通す。正常にリンクされると、テレタイプに
もう忘れたがアルファベット2文字で、OKだったか印字された。エラーも時々あった。結果がアルファベット2文字とは、あっさりしているが、全く
ムダがない。
 こいつに積まれているメモリの容量を思えば、なんともけなげというか、よくやってくれるよと、妙に親近感もわいたものだ。
 だが時にはエラーもあり、これまた結果が2文字である。あれだけ長い時間かけて長いライブラリを通したのに、最後にたった2文字である。
冷酷な仕打ちである(笑)。

 このへんの操作手順も当時のメモにより次に示す。

メモリへの書き込み手順 FORTRANコンパイラのロード手順 オブジェクトのロードと実行手順

 あと、新しいプログラムのロード時に、毎回ライブラリテープを読ませるのは大変だから、ある操作によってオブジェクトとライブラリをリンクした
テープを作る事ができた。これなら実行時に、テープ1本通すだけで済む。

 コンパイルは確か、1パスでできたと思う。リンクは、実行時に、さっきも書いたようにするわけだから。
 そのコンパイル中の結果を印字したものを次に示す。

 ソースプログラム1行ずつに対する、アセンブラのソースが吐き出されているのがわかると思う。このように、コンパイル中に、その結果を印字
することもできた。「センススイッチ」というものがコントロールパネルに4つ付いていて、この組み合わせで「コンパイルオプション」を指定する
ことができた。オブジェクトコードも同時に印字することができたが、印字量が増え、きりがないので普通はしない。

 変数をレジスタに入れてから、CALLでライブラリを呼び出しているし、FORMAT文の後にあるOCTは、印字する文字のコードを書き連ねたもの
だろう。リストを読んでみると、コンパイラなので、機械的なやり方ではあるが、しかし、極力ムダのないコードを吐き出しているような感じもする。
 計算式をどんなふうに展開しているのか興味深いものがあった。次に例として、SS=SQRT(1.D0−XS*XS)+SQRT(1.D0−XL*XL)
のコンパイル結果(途中まで)を示す。どんなふうにアセンブラに変換されているか、読んでみてください。

 なお、NEAC3200における数値の表記は8進数が基本になっていて、たとえばLDA =’013557とあれば、これは10進数で5999と
いうことになる。
 コントロールパネルも、8進数での操作を前提としたレイアウトになっていた。具体的に言うと、16ビットの最上位だけ1個離して、後は
3ビットずつひとかたまりに配置されていた。
 このように →  □ □□□ □□□ □□□ □□□ □□□
 8進数は現在では見かけないが、覚えやすいという利点がある。

 ある時、貴重なマスターテープを、バックアップしようと思い立った。ライブラリの紙テープは傷んでいて、ヘタすると切れそうだったからだ。
 マスターテープは、たしか、映画フィルムを入れるような金属の缶に入れてあったと思う。
 最初は単純に、マスターをテレタイプにかけて、そのまま紙テープパンチすれば良いと思って試したが、コピーしたテープだとコンパイラが動か
なかった。
 紙テープは、ある意味では便利で、マスターとコピーを重ねてみれば、ちゃんとコピーされているか見てわかるのである。長いテープだと、
見る気が起きないが・・・。そういう時はコンペアのプログラムを作れば良い(最初からあったかも?)。
 どうもコントロールコードに該当するコードが正しくコピーされていないようだった。
 マニュアルを見たら、紙テープのコピープログラムがあるらしい。紙テープの棚をよく探してみると、テープコピーのプログラムテープがあった。
なんだ、これを使うのか。そのテープをかけて実行、そしてマスターをリーダーにかけ、テレタイプを出力にセットした。これでちゃんとしたコピーが
できたというわけだ。

 ローダ、FORTRANコンパイラ、ライブラリ、それぞれの紙テープの写真を示します。

各テープのリーダー部分 ローダの紙テープ FORTRANコンパイラの紙テープ ライブラリの紙テープ

 色とりどりでなかなかきれいですが、こんなふうに色で分類しておくと、一目で分かるので便利です。
 また、ご覧になってわかるように、紙ですから、プログラムのタイトルとか、作成年月日、所有者名などのコメントを記入することもできます。
そのための専用のラベルもあったと思いますが、直接書いたほうが安上がりだし早いです。
 この写真で、ライブラリのテープはずいぶん傷んでいます。使い込まれて、破れている部分があるし、全体的に黒ずんでいます。このような
状態になると、ひっかかる事があったり、読みとりミスをしてエラーが出やすくなりました。
 これら3本のテープは、新しいものに「バックアップ」したので不要になり、廃棄されたのを当時もらってきたものです。これってソフトの「違法
コピー」?(笑)。まあ記念品ということでご勘弁ください。もう実機は無いし。
 ライブラリのコピーを取るときは、半日がかりだったと思う。やっぱりテレタイプでチンタラチンタラ・・・いつになったら終わるやらと、他に何も
できないし(シングルタスク)、ひたすら待つしかなかった。

 さっきコントロールコードで思い出したが、ベルコードを入れておくとテレタイプが「チーン」と鳴ったような気がする。
 これは今でも再現可能なことで、Windowsのコマンドプロンプトで、ECHO ^G と打って[Enter]を押せば、ピッと鳴る。
^Gは、[CTRL]と[G]を一緒に押すのだぞ。

 中3のときにこのコンピュータに興味をもったきっかけのひとつは、円周率の計算だったと思う。円周率は3.141592・・・と無限に続くのだが
その不思議な魅力に当時とりつかれていた。どうやったら百万桁とか、計算できるのか不思議に思っていた。当時持っていたMSXパソコンでは
メモリ的にも処理能力的にも、かなり難しい問題ではあったが。
 ただのわり算ではダメな事は知っていた。しかしどうやったら多数桁の計算ができるのか全く想像できなかった。どういうプログラムを作れば
いいのか。そういう時に、ちょうど工業展の展示で「円周率を求めるプログラム」を見たのだった。
 現物:

 当時は、BASICしか知らなかったから、このFORTRANのリストを見て、この学校に入ったら、こんな難しい事を習うのかとガックリした(笑)。
実際に勉強したらそうでもなかったけど。このミニコンを使っているうちに慣れたし。
 プログラム中に、239という数字が出てくるところをみると、たぶんマチンの公式(だったっけ?)を使っているんじゃないかなと思う。このプログラム
では1000桁まで求められる。

 さて入れ替わりに主役になったFACOMだが、こいつは32ビットで、筐体もデカイのに、処理が遅かった。値段は1億円とも言われていたが、
実際はどうなのかわからない。
 ディスク容量が1ギガと言っていたか、もう忘れたが、1989年頃にしてはすごいディスク容量であった。まだパソコンはフロッピーだけで使って
いた時代だった。

 実習で10人ぐらいが端末を使って、FORTRANの20行ぐらいのコンパイルを同時にスタートすると、結果が出るまで15分ぐらいかかった。
一方、学校にはパソコンのMS−DOS上で動くFORTRANやCOBOLの環境もあった。こっちのほうが、よっぽど速かった。FACOMは遅すぎた。
当時思ったものだ。「あの中には人が入っている」
 それでこっちのほうでも、いろいろイタズラを仕掛けた。1/59999=の結果を小数点以下、プリンタ用紙、数10ページにもわたって印刷し
続けたり、あやしいプログラムを作っては試して遊んでいた。ハードディスクをゴミで埋め尽くしてパンクさせようとたくらんでもいた(思っただけ)。

 端末のパソコン(FMR−50)では、F6680エミュレータというソフトを使ってFACOMにアクセスする。このF6680と同じ画面が出るように、
F−BASICでプログラムを組んだ。見た目は全く同じで、最初にユーザ名とパスワードの入力を求めてくる。そしてプログラムの番号を入れて
コンパイル開始の操作をすると、ホンモノと同じように、リアルな時間間隔で、F→→O→→R→→T→→R→→A→→N→→と表示されて、
ホンモノと違うのは、最後に「システム異常」と点滅しBEEP音が鳴り響くところだ。ボリュームつまみを「大」にしておくのがポイントだ。
 誰かこのイタズラにひっかからないかと、こっそり起動して仕掛け、陰から様子をうかがっていた。

 今ではこのFACOMも撤去され、設置されていた場所はスッカラカンになっていた。工業展で学校を訪問した際だったか、スッカラカンになって
いたのを見てショックだった。
 NEACは20年以上も活躍したのに、FACOMは10年もたなかったのだ。

 M730ではないが、ついでなので、NEAC3200と同じ時代のFACOM MATEの絵を次に示す。

 NEACの内部も何度か分解して見た。基板がたくさんささっていて、ホコリまみれになっていた。当時、学校で唯一と思われるエアコン部屋で
しかもガラス越しの一番奥の部屋に置いてあったのに、こんなになるなんて。自分が最後のユーザになるかもしれないから、ハケを使って
ホコリを払い掃除した。
 内部の基板スロットのレイアウト:

 C−301は、「中央処理装置」です。ここに示したリストの通り、基板14枚から構成されています。
 C−50は「紙テープ入力制御部」で、C−52は「紙テープ出力制御部」です。
 C−301Mおよび−1は、「付加記憶」で、4K語単位で3個まで接続可能のようです。これがメモリそのものじゃなくて、メモリを制御するため
のモジュールのようです。NEAC3200モデル30は、デフォルトで4K語だから最初から入っていたのはC−301−Mでしょう。
 それが2個入っているから、8K語のようです。

 コアメモリは、カセット式で取り外す事ができた。カセットといっても、弁当箱みたいな奴で、重量感があったと思う。当時のメモによれば、
貼ってあったラベルには、次のように書かれていた。
    TDK MEMORY STACK
    MODEL 6653900-001-1
    STACK No.763061
    6653900-001-1
    233071
 よく本に載っているコアメモリのように、縦横斜めのワイヤにフェライトのドーナツが通っている姿はそのままでは見えなかった。完全にカバー
で覆われていた。カセットの底のすきまから、少し見えていた程度と思う。

 スロットにささっている基板には、SOPパッケージのICが使われていた。もちろんそればかりではなかったが、コンデンサや抵抗などのディス
クリート部品も、現在のコンピュータの基板と比べれば多く、目立っていたと思う。
 さらに、レジスタは「遅延線」が使われていた。ディレーラインだ。細長いコイルが巻いてあり、周囲にはコンデンサが並んでいた。こいつで
16ビットを記憶するらしい。まだまだICのほうが値段が高かったのだろう。

 紙テープが切れたとき、あるいは、部分的に修正したいときはどうするか。
 プログラムの途中を修正するには、そこで切って、別に打ったテープをつなぐという方法があります。そのためのスプライサという器具もあり
ました。つなぐためのテープは、全部穴開けしてあり、水で濡らすと糊が溶けて、くっつくものです。自作することも可能で、確かテレタイプで、
RUBOUTボタンを押すと全部穴が空いたテープができて、それに糊を塗ってくっつけたと思います。
 手動で穴をパンチする器具もあったような気がします。
 ただ、そうやってつなぐと、リーダーにかけた時にひっかかりやすくなります。だから、できればコピーをとり、新しいテープにしたほうが
良いです。

 プログラムの途中を修正するには、テープをテレタイプにかけて、少しずつ新しいテープにコピーしつつ、印字させて、修正すべき個所を
目指します。修正個所にきたら、正しい内容を打ち込んで、それから、もとのテープを空送りしてやります。あと修正がなければ、そのまま
最後までテープをコピーさせます。
 削除したい文字のところで、RUBOUTボタンを押すとその列は全部穴があいて、実際にテレタイプに読ませる時にはスキップしてくれた
と思います。次に正しい文字が入っていれば良い訳です。
 あまりにもRUBOUTが多いと紙テープを読ませる時に時間がかかりますから、一度、新しいテープにコピーしてやると良いのです。そう
するとRUBOUTが取り除かれて、スッキリします。

 編集用の便利?なプログラムもあったようですが使ったことはありません。

 どこを修正するんだろうって、テープを眺めているうちに、このコードが読めるようになるらしいですね。基本的には、紙テープは人間が
読むものじゃないんですけど・・・。必要に迫られると、人間って何でもできるんですなあ(笑)。

 USB接続の紙テープリーダーって無いものかね? いまさらどうするって感じもするが・・・いやじつは、NEAC3200のエミュレータが
あれば、そいつでプログラムが実行できるし・・・。手元にたくさん残っているプログラムを読み込みたい。
 エミュレータ、誰か作ってないのかな(アセンブラの資料を持っている自分が作ればいいという話か・・・わははは)。
 パソコン上で動かすのもいいが、実機を復刻するのもいいかもしれない。アルテラでCPUを作ってしまうわけだ。もし実際に作ったら、
あの重くてでかい機械が、アルミの弁当箱ぐらいになると思う。名付けて「NEAC ポータブル」。

 紙テープリーダは、LEDとフォトトランジスタをうまく組み合わせればできると思う。テープ送りは速くなくていいから、馬淵なモータと
ギヤボックス、模型用のゴムタイヤなんかを組み合わせてできるんじゃないか。
 一番細工が難しいのは読みとり部だろうな。確か紙テープの寸法は、1インチ(約2.5cm)で、その中に9個の穴が並んでいたと記憶
している。真ん中あたりの穴は、ほかのより小さめで、テープ送り用のスプロケットホールだ。この穴を読みとりの同期タイミング用にして
もいいな。
 とにかく間隔が詰まっているのだ。間隔は約2.5ミリで、ユニバーサル基板の穴間隔と一致する。基板の切れ端で、受光素子の
ガイドというか、なんか使えないかと思う。
 間隔が詰まっているから、受光素子をそのまま並べることは物理的に難しい。
 電気的な接点でなぞる方法は、テープが傷つくし、接触不良も心配だから避けたい。フロッピードライブの書き込み防止をチェックしている
小さい突起のあるスイッチ、あれを思いついたが、機構的に複雑になるだろう。通常は紙テープから離して待機、読むタイミングで紙テープに
当てて、ON/OFFを読みとったら、すぐ離してテープをひとこま送る。複雑だな。
 FUJICの記事を読むと、当時、ガラス細工でフォトセルまで光を導いたとある。今なら、アクリル棒や、装飾用の光ファイバーなんかが
ホームセンターで手に入るからいいかもしれない。
 あるいは興味深いものとしては、むかし使っていたハンディスキャナのCCDラインセンサの流用も考えたりする。回路も制御も複雑に
なるが・・・。
 ファイバーでひっぱってくるなら、フォトトランジスタのレイアウトは自由にできるだろう。穴ひとつずつで左右に4つ(片方は5つ)に分け
れば、部品自体は約5ミリ間隔で実装できると思う。
 まてよ、こんなクソ真面目に考えなくていいんだ。わっはっは!
 光源がひとつだと決めているからダメなんだ。たとえばチップのLEDだったら間隔を詰めて並べるのも問題ない。9個並べる。受光は
ひとつの素子にする。遅くてもいいから安いCdSでどうだ。で、LEDのほうを制御するわけだ。LEDをひとつずつ点灯させて、そのタイミング
で読みとる方式にする。1バイトたまったらテープをひとこま送る。どうよ?
 チップというか、そういえば以前秋月で、「B−1000SR 10バータイプLEDアレイ 超高輝度赤色タイプ」なるものを買って、持っていた
んだ。いまも売ってると思うが、こいつは、ひとつのパッケージにLEDが10個並べてある。しかもその間隔は約2.5ミリで、紙テープの
穴間隔と合うはずだ。おおー!!
 あーだめだ。テープ送りを単純に、単に馬淵モータを回すだけにしてるから、ひとこまなんて送るのは難しい。やはり、テープは単純に
送りながら、スプロケットの穴で同期をとって、いっぺんにデータを読む方式だろうな。
 いずれの方法でも、さっきのLEDアレイは光源として使えるので確保。
 モータと受光機構の戦いだね、これは。どっちが譲歩するかという次元で、結果としては、機構的にも制御的にも簡単な方法を目指すわけ。
 モータは無しにして、手でひっぱるという方法もあるが、長いテープだと地獄を見るだろうな。やっぱり自動がいい。
 1インチのオープンリールのビデオデッキのジャンクでも転がってればいいのに。そしたら、テープ送り機構のことは考えなくていいんだ。
テープを全部読ませた後に、巻き取るのも楽だし。まあ、ないものねだりは非現実的。忘れよう。
 スプロケットの穴だけは、常時みていないと、ブランクなのかとか、同じデータが続けてきたのか、判断つかんもんね。
 おっと、フォトトランジスタというかダイオードは、ジャンクのマウスから取れそうだな。しかも赤外LEDとセットで。うーん、2個ずつか4個
ずつになるだろう。
 そうだ、紙テープの色で読みとりに問題は生じないんだろうか。白いテープなんか、受光素子の出力レベルが変わるんじゃないか。
コンパレータの基準電圧をいじらんといかんか。これは実測してみないとわからんが、とりあえずコンパレータと、ボリュームを付けておけば
良いだろう。
 思いついた。さっきのスキャン方式で、スプロケット穴だけは常時点灯で監視しながら、他の穴をスキャンするのはどうだろう。それなら、
テープ送りが速すぎない限りは問題ないんじゃないか。スプロケットがONの範囲内かどうかによって、その列のデータが終わりかどうか
判断する。さっさと読んでしまえば問題ないだろう。で、いったんスプロケットがOFFになって、再びONになったら読み込みを開始するわけ
だ。これで決まりだねっ!
 光はアクリルの棒で導けると思う。むかし持っていたMacintoshIIvxでは、基板上のLEDの光を、透明プラスチックでフロントパネルまで
導いていた。
 テープの読みとりタイミングは、スプロケット穴が他より小さいことから、これが「ストローブ」信号みたいな位置づけになると考える。つまり
スプロケット穴を検出したときは既に、他の穴位置は確定した状態にある。説明図を次に示す。

 スプロケット穴検出信号が入った瞬間に割り込みを入れ、データ穴読みとりルーチンを走らせ、スプロケット穴が検出されなくなる前に
全ての処理を終えるようにする。

 ただ、真ん中の穴だけ常時点灯だから、受光素子を1個でというのは無理だ。スプロケットで仕切って、左右ひとつずつで受光素子2個と
いうのはどうだろう。これで設計方針は決まった。(えっ、いつ紙テープリーダ復刻の話になったんだ?)

 制御はPIC1個でできそうだし、外付け部品もあまり必要なさそうだ。ソフト的には、読んだデータを単純に送信するだけだ。PICは読みとり
に専念させたほうがいいかもしれない。ポートが足りるかどうかとか、シリアルをソフトで送るのは時間的に厳しい。データだけは、TTLの
ラッチに取り込んで、あとは同期信号を送るから勝手に読んでねと、サブのマイコンにシリアル送信をさせるのはどうだろう。こいつの
プログラムを変えて、USBの石を付ければUSBインターフェースの紙テープリーダーになる。ありそうでなかった周辺機器だ。いやしかし、
USBだとパソコン側のソフトを作らないといけないのか。面倒くさいなあ。勉強しないとできないし開発環境もいるし、いかんなあ。
 たとえば、安いキーボードをぶっこわして、文字に対応する接点をひっぱりだしてきて、それでパソコンに入力させるのはどうだろうな。
そしたらパソコン側のソフトは不要だ。ただ、ハードウェアは大変だが・・・。
 やっぱりレガシーインターフェースのシリアル通信にしようと思う。簡単だから。

 NEACと、その端末となるパソコンのインターフェースは、やはりテレタイプを意識して、カレントループとか110bpsだろうな(笑)。
テレタイプは現存しないから、とりあえずパソコンでターミナルを起動して、110bpsでチンタラチンタラ・・・いいねえ。Windowsでも
110bpsは設定可能のようですから、実際にできますね。
 スピードが全てじゃないんですからね。遅くても結果が出ればいいんだから・・・。あのころはのんびりしていた時代だったねって・・・
・・・あんた何歳?(笑)

 さすがに紙テープでの入出力は、そういうデバイスが無いから難しいが、雰囲気だけでもと思う。アイディアとしては、紙テープみたいな
パターンをプリンタに印字する。これが紙テープ出力で、入力はどうするかというと、スキャナにその印字したやつをセットして読み込ませ、
認識させるってのはどうだろう。
 「自分でOSの仕事をする」というところがポイントだ。前に書いたように、プログラムを実行するには、リンカー、オブジェクト、ライブラリと
いう3つのテープを通す仕事を、人間がコントロールパネルを操作しながら、テープをセットしたりはずしたり巻き取ったりしなければならな
い。入力先、出力先を、コントロールパネルでレジスタに打ち込まなければならない。
 「むかしのコンピュータは、人間がOSの仕事をしていた」という事実を、いまの若い世代に伝えると良い。しかし今の若者は、「不便です
ね。Windowsあるじゃないですか」とクールな対応かもしれんが(笑)。

 あのゲイツだって、最初はミニコンで8080のエミュレータを使い、BASICを開発していたんだぞ。テレタイプに紙テープだ。Altairの
入力デバイスも紙テープか、トグルスイッチだった。テレタイプをつないで使っていた。不自然じゃないですね。まだ1970年代でしたから。
 そのBASICの紙テープを誰かが拾って?、マイコンマニアが会合の時にコピーしまくって(今度来たときに2本コピーを持ってくるという
ルールだったらしい)、それでゲイツが激怒したというのは有名な話。その請求金額がまた高い。さすがゲイツだ。でもゲイツのBASICが
有名になって、市場を支配できたのは、こうやってみんながコピーしたからだぞという、コピー側の主張だった。

 当時のマイコンマニアは、テレタイプASR33を自宅で(持っている事自体すごいが)、ダダダダダダ・・・とやると近所迷惑だし、テープの
読み込みが時間かかるし何度もエラーするもんだから、「ASR33は、Aんまり Sんどい Rーダー で 33(サンザン)」と愚痴っていた
らしい。(安田寿明さんの本だったかな?)

 そうそう、NEAC3200で検索していたら、昔のYS−11のフライトシミュレータが、このコンピュータで制御されているそうですよ。
すごいですね。石川県立航空プラザに寄贈されたそうですが、今も動くようです。だって、1回いくらって書いてあるもん。 そのページへ
 こいつが壊れたら困るだろうから、やはりNEACを復刻して、NEACポータブルを売らんといかんな(笑)。
 私は、名古屋空港の中にある航空宇宙博物館で、YS−11のフライトシミュレータの展示を見たんですが、動く状態ではありません
でしたし、コンピュータもつながっていませんでした。

 あと、NEACはコアメモリなので、電源を切っても記憶が消えません(たまに消えていたが、ご愛敬)。
 そして、電源スイッチに込められた「配慮」には感動したね。レバーを「上」げるとオフで、「下」でオンなんだ。どういうことかというと、
もし上がオンで下がオフだったとする。普通、そういうふうにするよね。習慣的に、上がオンだよね。そしたら、間違って触れたときに、
電源が切れてしまうじゃないか。下がオンなら、間違って触れても大丈夫。グイッと上げなければ電源が切れないのだから。

 大事なことを忘れていた。キーインローダ(ブートローダ)があったっけ。20ワードなかったと思うけど、こいつを一番最初に、コントロール
パネルのボタンを押して、メモリに入れてやらにゃならん。何度も何度もやっていたら、手が覚えてしまったが、こいつがないと、紙テープを
読み込む事もできないのだ。
 電源を入れて、最初にキーインローダを打ち込み、スタートを押せば、たとえばコンパイラのテープが読み込まれるという仕組みだ。
 NEACのコントロールパネルのボタンはゴツくて、押すのにけっこう力が必要だった。よいしょ、よいしょという感じだった。
 さっきの、□ □□□ □□□ □□□ □□□ □□□をビットごとに押していって、最後にスタートボタン(兼用)を押すとストアされ
る。もし間違ったら、スタートを押す前にクリアを押すと、現在のアドレスの全ビットがクリアされる。ビットのボタンは、セットオンリーだから、
たった1ビット間違えただけでも、そのワードは全ビットクリアして最初からやり直しだった。
 たしかPC/PC+1というスイッチがあって、これをPC+1にしておけば、スタートボタンを押した時に次のアドレスに進むのではなか
ったか。で、キーインローダを最後まで入力したら、開始番地をレジスタに打ち込んで、スタートを押したと思う。
 左のが8進数を2進数に展開した表で、これはいつもカードケースに入れて、ローダを打ち込む時に使っていた。右は、キーインローダの
ソースコード。アドレスも8進数なので7の次は10になる。

 脱線しますが、HITAC派もいらっしゃると思います(こっちの方が世の中にはユーザが多かったんじゃないかという気がする)。
 じつはカタログとアセンブラのテキストを持っているんです。

HITAC10カタログ HITAC10アセンブラテキスト

 カタログ表紙に「あなた専用 カギのかかるパーソナルコンピュータ」と書いてあります。もうすでにこの頃から、この言葉がありました。
最初に誰が考えたのか知りませんが、確かにそう書いてあります。
 カタログの3ページには、「日本ではじめてのパーソナル・コンピュータ」と、でっかく書いてあります。たぶん昭和4*年頃ですから、
現代のいわゆるパソコンは、まだ影も形もなかったと思います。自称ですが・・・(笑)、これが初めてのパソコン?
 日本ではじめての、と書いているところが控えめなのか本当なのかわかりません。海外には既にあったのかな?

 カタログには特長として、次のように書いてあります。
    1. 495万円のベーシック(基本)システムですべてのソフトウェアが使えます。
    2. サイズはミニでも 性能が高く用途はたいへん広範囲です。
    3. カルキュレータにより、プログラミングなしで、計算式をそのまま入力し、スグ答えを得ることができます。
    4. 軽くて超ミニ・サイズ、どこででも使えます。
    5. HITAC10は拡張も自由にできます。
    6. ユーザ個有(※固有の誤り)の装置も簡単に接続できます。
 値段がずいぶんお買い得ですね。(そうか?) この値段では、まだまだ個人(パーソナル)所有は無理だったでしょう。
 カルキュレータというのは何だろうと思いませんか。じつは電卓になるんですね。試した事はありませんが、カタログに書いてある内容では
関数電卓並みの機能です。テレタイプから計算式を打ち込めばすぐ答えが出るというものです。
 4番の、超ミニ・サイズってのは、たぶん当時?ミニスカートが流行していたから?(笑)
 軽くて、って・・・そりゃ大型冷蔵庫みたいな機械に比べてという事でしょうね。

 HITAC関連の本として、やはり古本屋で見つけたものがあります。今はなき長崎市浜町の「文録堂」にありました。この古本屋は、まさに
「発掘」という言葉が似合う店でして、大量の本が床から積み上げられていて、その中から掘りだすのが楽しかったものです。多くのファンに
惜しまれながら閉店しました。

 この本は、まさにHITAC10のために書かれたもので、著者が自作したプログラムがたくさんのっている。リストはテレタイプ出力の
ものをそのまま使っている。
 右のメモは、この本に糊付けされていたもの。この本の前の持ち主が作ったものでしょう。まさに現場で活躍していたという感じがします。
持ち主の魂がこもっていると思います。

 さて学校にはテレタイプが3〜4台あったと思うが、NEACに直接つながっていたのは1台で、あとは全部オフラインだった。そう、実習の時は
これを交代で使って、ソースプログラムを打ち込んで紙テープを作ったのである。
 先輩が卒業文集に「さらば地獄のNEAC3200!!」と書いていたのを思い出す。自分たちの1年先輩までしかこういう体験はできなかった。
 テレタイプの、手前右側あたりにスイッチがあった。確かオンラインとオフラインの切り替えだった。コンピュータの端末として使う時は
オンラインだし、プログラムの打ち込みはオフラインにしたと思う。

 テレタイプといえば、こんな事やってなかったか?

 これは簡単なほうで、もっと凝ったやつになれば、モナリザとか、いろんな文字を重ね打ちして濃さを変えて作ったやつもある。
PLAY BOYのウサギマークもどっかにあったぞ。
 ミ○キ○マ○スもあったが、版権がうるさいのでここには掲載しない事にした。なんでも、子供たちがプールの底に描いたものにまで
クレームをつけて消させたらしいね。

 何のプログラムのテープだろうって、ナゾなものがあって、とりあえずテレタイプにかけてみたら、さっきの顔が出てきたわけだ。
穴のパターンを見れば、ソースなのかオブジェクトなのか、あるいは、このたぐいのものなのか、何となく区別できた。というのは、
ソースだと文字コードばかりだし、オブジェクトはもっと広い範囲のコードを使っている。こういうグラフィックみたいなやつは、たとえば
アスタリスクとスペースの繰り返しだったりするのだ。

 FACOMを使うようになっても、同じような事をやっていた。自分もアニメのキャラクタを必死で打ち込んで、印刷して遊んでいた(笑)。

 自作のビデオキャプチャで、MZ−2000に取り込んだ自分の顔を、文字に変換して印刷したものを例として示します。

 NEAC3200には、グラフィックディスプレイなんか無かったが、さきほどのように、擬似的にグラフィックを実現していたのだ。
 たとえば配列変数を縦25の横40ぐらい確保して、これを仮想画面にするわけだ。これを画面として、任意の座標に文字を
書き込む。あるいは消す。そうして更新があるたびに、テレタイプに出せば、画面があるかのような感じになる。

 このNEACとは関係ないが、当時のCGアニメーションは、プロッタでセル画を1枚ずつ描画出力していたのもあったようだ。
どっかの雑誌で読んで、あっ、その手があるなあと感心した。

 あと、さっきの疑似グラフィックの応用として、有名な「LIFE」をNEACで実行しようと思った。もともとBASICのプログラムをFORTRANに
直して、ドキドキワクワクしながら試したが結局最後まで動かなくて、一体なんなんだかという感じだった。
 しかし、これまた有名な「スタートレック」なんかは、テレタイプで実行したほうが雰囲気が出るんじゃないか?
 ダダッ、ダダダダダッ、・・・なんて具合に戦況が報告されてきて、自分がキーをたたいて、これまた、ダダッダダダダッとコマンドを
送るという・・・うーんいいねえ〜。

 FACOM M730のFORTRANは完全にバッチ処理だったが、NEACは対話式だった。入力が必要なところでちゃんと止まって、
キーを押すかテープをかけるか、まるで従順な飼い犬のように待っているんだ。で、入力してやると、ランプがチラチラ〜として、おおー、
いかにも処理を進めているというのがナマで感じられた。これを見ていると飽きないので、処理が多少遅くても辛抱できたなあ。

 また思い出したがNEACは、たしか、ニアックと読むようです。またNECのロゴですが、当時は、今みたいな丸っこいやつじゃなく
例の、とがったロゴでした。
 じゃあNEACって何の略かというと、これまた当時のメモをご覧下さい。Aは最初アナログだったんですね。それがオートマチック
のAになったのです。

 学校には、このコンピュータのユーザに送られる(と思う)雑誌、「コンセンサス」がありました。今も発行されてるんだろうか、この
雑誌。NEACシリーズはもう無いから、スパコンのSXシリーズユーザ向けになっていたりして・・・(笑)。

 NECのコンピュータといえば、ACOS−250にもお世話になった、というか、サンザンだった。専門学校にあったんだけど、
つい10年前は実習に使っていた。端末がいっぱいあって、グリーンディスプレイで、キーボードは使いにくさで有名なJIS配列
(だったかな)だ。確か、シフトは、ロック式になっていたから不便だったのだ。押しながら、というのはできなかったと思う。
 スクリーンエディタがイモで、操作をちょっと間違えると、元に戻せなくなって、どうしようもないシロモノだった。

 こんな環境で、COBOLの長ったらしいプログラムを打ち込んでいたから大変だった。
 クラスのみんなで使うとさすがに反応が重いもんだから、授業中は適当にプログラムの打ち込みを集中的にやって、コンパイルや
実行は、放課後を利用していた。それなりに快適に動いていた。

 今だから言えるが、実習用のサンプルデータファイル(共用)が、壊れるという事件があった。これでみんなの実習課題が足踏み
状態になった。最初はピンとこなかったが、冷静に自分のプログラムを点検してみると、読みとりのはずのサンプルデータに対して
書き込みをしていた。げげー。覆水盆にかえらず。

 もうひとつは、かなり重大なやつで、「EMERGENCY」と書いてある赤いボタンを、なんとなくいじっていた時の事だ。これは、
押すんじゃなくて引くんだ。押す方式だと、誤って手が触れてしまった時などに困る。
 で、何も考えずに自分はそれをひっぱったのだ。また押せば戻るだろうと。しかし、いくら押しても戻せない。回して押すのかと
思ったが違うようだ。いやー困った。あとで先生に事情を話しておこられたと思う。
 だって、火災報知器のボタンも、押した状態からひっぱって元に戻せるでしょ。銀行のATMのところにある非常ボタンもそうだ。
一度、自分の前にいたオバサンが、インターホンと間違ってバコンと押してしまった現場にいたことがあって、銀行の人があわてて
奥の部屋から飛び出してきて、ひっぱって非常ベルを止めたもんね。
 そんな経験もあって、あー、引っ張ればいいのかと、理解していたんだが。結局、ACOSのは、メーカーの人が来て、中をあけないと
元に戻せないんですかね。誰か知りません?

 同じ学校には、NEAC MS30もあったが、これはすでに現役を退いて、トイレの前に置かれていた(笑)。もらえるもんなら、もらって
帰ろうと思ったこともあったが、いま考えれば、じゃまくさいからもらわなくて良かったと思う。運ぶのも並大抵じゃなかっただろうし。

 うーん、思いつきだが、「復活!TK−80」ならぬ「復活!NEAC3200」を、アスキーさんから出してもらわんといかんな・・・って、
誰もいらんか(笑)。あまりにもマイナー過ぎますかね。へへへ。

 紙テープについて少し書きます。
 このホームページで匂いを伝えることはできませんが、紙テープは独特の匂いがします。普通は匂ったりする人いませんけどね(笑)。
じつは、湿気対策と、すべりを良くするために油が染みこませてあるようです。但し、見た感じでは、油じみのようなものは見えません。
 紙テープのメーカーですが、巻き芯に「Abekawa アベカワ」という文字が印刷されていました。「北越製紙」もありました。
 次に示すのは、もうちょっとで使い切ってしまいそうな紙テープです。卒業前にテレタイプから抜き取ってきました。
 なお、テープの幅は1インチ(2.54cm)です。

 紙テープは、いまでもNC工作機械で使われているから、入手は可能かと思うんですが、どうでしょうかね。油や金属粉まみれの現場では、
フロッピーが使えないから、紙テープが生き残っているようですよ。

 ソースプログラムテープのパンチ穴の例を次に示します。
 慣れると、穴のパターンを見て、ソースかオブジェクトテープかの区別がつくようになります(ちゃんと記入しとけと言われればそれまでだが)。

 じつは私、なんとまあ、紙テープのパンチクズまでビニール袋に詰めて、保存しています。どうするんでしょう(笑)。

 このコンピュータの導入にあたり、各社各機種との比較検討のために作成されたと思われる資料。アセンブラのマニュアルか
何かにはさまっていました。かなり消えかかっていましたが、補正してなんとか判読できるようにしました。
 もとはB4で、横につながっていました。

 ハードウェアおよび、ソフトウェア関係の資料(書き写したものの一部)いろいろ。

整数演算サブルーチン 単精度数の加減算 D$11(わり算)
固定小数点データフォーマット 参考資料一覧 アセンブラ命令表 入出力ルーチン 命令一覧(自作、感熱紙)
間接アドレス、レジスタ 浮動小数点演算の方法 SQRX1の詳細

 NEAC3200のマニュアルの例。こういうのが何冊もあった。もう全部捨てられただろうなあ・・・。
 ちなみに、「ベーシックシステム」と書いてあるが、言語のBASICではない。

 このマニュアルの表紙から、次のようなロゴを切り出した。バナー用?
 勝手に使って良いかなNECさん?ビルに風穴あけたろかー(ってもうあいてるし)。

 マジでNECの広報に使用許可をもらって、許可が出たら使おうと思ったりしている。

 ところで、googleで、NEAC 3200で検索かけてみたら、NEAC3200は、日本アビオニクス社で製造されていたという事が
判明。ここを見てください。「当社のあゆみ」に、「S43年10月 ミニコンピュータNEAC−3200の製造開始」と書いてあります。
 AVIOという単語をみてすぐ思い出しましたよ。サーモグラフィの会社じゃないですか。 サーモグラフィの画面の片隅にAVIOと
表示されてますもんね。
 たとえば、鉄腕DASHで以前、リーダー城島が、いろんな物を食べたり飲んだりして、どれが一番暖まるかという企画だったかと
思うんですが、その際、人体の温度分布をみるのに使っていましたね。試してガッテンなどでも時々使われています。

 どうして自分が古いコンピュータに興味をもったかというと、高校生だった頃、Z80マイコンを組み立てた事がきっかけで、さらに
コンピュータの原理に関心が向いていったのです。簡単なCPUを自分で設計して、TTLを組み合わせて作りたいと思いました。
 コンピュータアーキテクチャや、計算のアルゴリズムを勉強していく中で、こういう基本知識を得るには、古いコンピュータの資料や、
昔の専門書のほうが詳しく書いてあり、わかりやすいと思いました。
 制約のある中で、先人たちはあらゆる工夫をしてきたことがわかりました。いろんなドラマがあったことも知りまして、コンピュータの
歴史というものに強く興味をもちました。計算原理への興味とその追究、そして計算機の歴史の探求を始めました。

 自分たちの世代は、生まれた時からカラーテレビがあるが、さらに年下の世代は、生まれた時からWindowsのパソコンがあった
だろう。テレビが白黒だったという事を知らない人もいるだろう(古い映画が白黒なので、昔の世界は白黒だったと主張する奴もいた)。

 どうでもいいといえば、どうでもいいんだが・・・テレビが白黒だったとか、パソコンのクロックが4メガだったとか、知っていても損しない
んじゃないか。


 久しぶりに追加。
 ガッチャマンを見ていたら、ベルクカッツエ(悪の組織ギャラクターの幹部)が、紙テープを読んでいた。

 無理にそのまま読まなくても、テレタイプにかければいいんだよ・・・・・・。


●2007年6月17日

 数年ぶりに更新(笑)。
 じつは、NEAC3200にソックリなマシンを発見した。

 まずは、ここを参照下さい。→ H316 home

 Honeywell H316 というのは・・・・・・ソックリというより、そのものじゃないのか?
 内部の写真も載っているが、基板のCC366といった番号まで全く同じだ。

 いろいろ検索してみたら、どうやら、当時NECとHoneywellは技術提携していた
ようだ。HoneywellのH316がオリジナルで、中身が同じ物をNECが作っていたわけ
だ。(ちなみにNECは、日本と米国Western Electricとの合弁会社)

 うーん、私は今まで、設計から全て国産だと思いこんでいたのだが・・・その意味では
少し残念な気持ちもある。

 いや、海外にもNEAC3200(と同じ機械)を愛するマニアがいた事が嬉しいなあ!!
現役みたいだし。
 一方、島原工業高校にあった機械は、たぶん、もう、とっくに捨てられてしまっただろう
なあ。電子科の実習棟も新築されたと聞くし。残念!!


●2007年6月29日

 26日に、島原工業高校の民間講師の手伝いをする機会があり、久しぶりに母校を訪問
した。

 ちょうど、電子科(今は電気科)の古い実習棟を解体している最中だった。聞くと、1週間前
に着手したという。壊す前に見納めをしたかった!!
 一部の骨組みや、変電室(上が無線部の部室だった)の一部、コンピュータ室が残ってい
た。夕方に帰る時には、骨組みや変電室は無くなっていた。

 すでに機械科と電気科の実習棟は新しくなっており、帰る前に一通り見学をさせてもらった。

 古い設備のうち、使えるものはそのまま持ってきていたし、電気科ということで、新たに
導入された設備もあった。

 しかし、NEAC3200は見あたらなかった。もうとっくに捨てたんだろうな!
 しょせん、ゴミでしかなかったんだろう。本当に惜しい。卒業前に、ゆずって下さいと何度も
お願いをしたのだが・・・いくら引退したといっても、公共物だから個人に譲ることはできないと
却下されたのだった。


 さて、先日の”H136 home”の人にメールを出してみた。
 英語がサッパリわからんので、excite翻訳に頼るしかなかったのだが・・・。
 従って、文章が正しいのかどうか、全く自信がない。
 自分で和文を書いて、和→英で英文を得た。
 次に、英→和で内容を確認しようとしたが、かなり怪しいものだった。

 まあ、実際に使われている英語なんか結構アバウトだと思うから、これでGO!
というわけで、サッサと送信してしまった。わっはっは。

 以下、その文面を示す。(和文・英文を併記しました)


はじめまして、あなたのWebサイトを拝見しました。
Nice to meet you I saw your Web site.

私は日本人で、Naoyuki Maedaと申します。
I am Japanese, and I say Naoyuki Maeda.

H316を見て驚きました。
I was surprised to see H316.

なぜなら、それは、NEAC3200に酷似していたからです。
Because it resembled NEAC3200 closely.

NEAC3200とは、日本のNEC社が、1970年代に発売していたコンピュータです。
NEAC3200 is a computer that the NEC company in Japan was putting on the market in 1970's.

それは、私が通っていた高校にありました。
It was in the high school to which I had gone.

NEAC3200は既に引退していましたが、私はそれを気に入っていました。
I liked it though NEAC3200 had already retired.

1989年頃のことです。
It is about 1989.

いつも放課後に、いじっていました。
It play always after school.

それは、とても楽しい時間でした。
It was very happy time.

先日、久しぶりに高校を訪れましたが、NEAC3200は、既に撤去されていました。
NEAC3200 had already been removed the other day though the high school was
visited after a long time.

古い建物は壊され、新しく建設されていました。
The outmoded building was broken, and constructed newly.

それは、私にとって残念なことでした。
It was regrettable for me.

最近、調査した結果、1970年頃にNECとHoneywellが技術提携していた事がわかりました。
Recently, I see in the result and 1970 about investigated ..the technological
tie-up... NEC and Honeywell.

おそらく、H316をコピーして、NEAC3200が作られたのです。
Perhaps, H316 was copied, and NEAC3200 was made.

私のWebサイトへのリンクを示します。
My link to the Web site is shown.

よろしければ、ご覧ください。
Please see if it is good.

但し、日本語で書かれている事は、お許し下さい。
However, please forgive the thing being written in Japanese.

画像は、見ることができるでしょう。
The image will be able to be seen.

今後とも、宜しくお願い致します。
My best regards in the future.

私のメールアドレスは、下記の通りです。
My mail address is as follows.

ありがとう。
Thank you.


●2008年5月26日

 「 CORE MEMORY ヴィンテージコンピュータの美 」
 ・・・という本を買った。

 ほとんどのページがカラーで、値段が高い。¥3,400(税別)もする。
 こんなの、たぶん、マニアしか買わない(笑)

 まあ、フッフッフ・・・・・・、とニヤケながら読んだのであるが。

 この中に、"Interface Message Processor"(略してIMP)というコンピュータが
紹介されている。ご存じの方もいらっしゃるでしょう、ARPANETのパケットルータ
である。

 このフロントパネルをよく見たら、NEAC3200に似ているのである。いや、スイッチ
自体は違う形のものが使われているが、配列や、文字、その内容はほぼ同じで
ある。
 それもそのはず、IMPは、HoneywellのH516から作られているからだ。NEAC3200
のオリジナルであるH316とは兄弟にあたる。

 まさか、私が高校生の頃には、このNEAC3200がインターネットと関係があるとは
全く思わなかった。当時はインターネットどころか、細々とパソコン通信をやっている
人がいる、ぐらいの時代だったから当然だけど。

 不幸なことに、母校にあったNEAC3200は処分されてしまったようだし、当時の
実習棟も全部取り壊されてしまった。(2007年6月頃の写真)
島原工業高校 旧 電子工学科 実習棟
※解体された電子工学科の実習棟・・・
 正面に見えるのは、もとの変電室で、その上が無線部の部室だった。
 その向こうに、まだ建っているのが建築科の実習棟で、この後に解体された。
 さらに奥の体育館(左)と、校舎(右)も、いずれ建て替えられる計画とのこと。

 この写真を撮影した時、5回生の大先輩と一緒にいた。しばらく、電子工学科の
実習棟が解体されるのを眺めていた。(ちなみに私は25回生)

 さすがに実習棟は、私が在学していた当時もかなり老朽化していたから、
建て替えやむなし、とは思う(ここで学んだ生徒のひとりとして、少し寂しい
気持ちも、もちろんある)。

 ただ、コンピュータは歴史的な価値があるから、残しておいてほしかったと
思う。非常に残念である。テレタイプは、確か4台あったと記憶しているが、
全部残さなくてもいいから1台だけでも展示してほしかった。国内における
古いコンピュータの保存に対する取り組みとしては、たとえば、京都コンピュータ
学院の資料館がある。校内に展示されている機械があるようだ。

 まあ、個人の価値観が異なるから、どんな宝物でもその人にとって用がなければ
ゴミなんだな。使わないしー、とか、置き場所がないから捨てちゃえ、となる。

 なお、IMPの次のページに、"Kitchen Computer"と称してH316が紹介されている。
これはH316の変形版で、テーブルのような形に作られているが、やはりパネルは
NEAC3200と同じ構成である。





 (続く?)

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